池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

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池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

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第59便「生きるということ」

先日僕の親友が亡くなりました。


彼は高校時代の同級生。
その明るさと社交性は高校生離れしており、3年間を通して学級委員長。
周りのみんなを惹きつけ、人の輪を繋ぐことにかけては天賦の才能を持ったクラスの人気者でした。
「会長」のニックネームがこれほどイヤミなくしっくりくる奴はいるだろうか、と思えるほど頼り甲斐のある彼がある日「将来は総理大臣になる」と言ったことがあり、冗談か本気かはさておき「あるいはほんとになれるかもしれない。」と思ったのをよく覚えています。
山形の大学に進んだ彼はそこでもその強烈なキャラクターと行動力でみんなに愛され、やがて山形で数店の飲食店を経営するオーナーに。
さらに地元の青年部や議会でも人望を集め、山形を全国に紹介したい!という強い信念のもと昼夜を惜しまず走り回っていました。

高校を卒業してからの数年間、自分のことで精一杯の我らはお互いコンタクトを取ることもなく、数年に一度顔を合わせることがあっても互いの住んでいる世界が違いすぎて交わる部分も少ないことから、「高校時代の同級生」という月並みな存在のまま、それぞれが離れた場所で生きていました。
それが再び交わり始めたのが2011年、会長がガンだと知らされた夏でした。
あまりの衝撃に狼狽し、話す言葉も見つからない僕に向かって久しぶりに聞く電話の向こうの声はいつものように明るく、まるでちょっと風邪でもひいたかのような口ぶりです。
そんな彼の心情を思い、それからというもの僕は落ち込み、彼の抱えている不安や悔しさに思いを馳せ、そして病気の恐ろしさを自分のことのように感じては、毎日ため息をついていました。



一時帰国で数年ぶりに会った会長は僕の想像とは程遠く、いつものようにエネルギーに満ち溢れた男のままでした。
ぼくのイメージしていた弱々しい患者の姿はどこにもなく、逆に心配してる僕の方が肩を叩かれ叱咤激励される始末。
そして自分の無茶な生活を気づかせてくれたこの病気に心底感謝していると語る顔。
それはまるでようやく見つけたものを大切に抱きしめるような表情で、病気を自分の一部として、闘うというより寄り添いながら生きていこうとするかのような彼の姿勢が、僕は俄かに信じられませんでした。
この強さは一体どこからくるんだろう。



それからというもの頻繁に連絡を取り合うようになった僕らは定期的に連絡し合い、帰国した時には会っていろいろなことを話しました。
いつ会っても会長は会長のまま、仕事をかなりセーブしているものの仕事先からのメールや電話も頻繁にかかってきます。
その度に大きな声で明るく笑い、悩んでいる部下の背中を叩いて励まし、まるでこっちがつい楽しくなってしまうような朗らかなやり取りを見ていると、彼にとって病気とはなんだろう...と考えずにはいられません。
「俺はいま毎日本当に幸せさい。周りの人達にも、この病気にも感謝せずにはいられんぞ。」
その底抜けの明るさと前向きさで、毎日を真剣に楽しんで生きている会長の強さ。
いっぽう体は健康でいながらも、彼の不安や無念さを言い訳にして勝手に思い患い、自らと重ね合わせて落ち込んでいる自分の傲慢さ、弱さ。
命を脅かす病気と闘いながらも心は僕よりずっと健康な彼に敬服しながら、心の中で自分のだらしなさを何度詫びたことでしょう。
彼は言います。「悩んで一日無駄にするほどおまえは余裕があっていいなと。」





病気が進行してメールの返信が遅れ始めてからも、少なくとも僕の前では、会長はいつもの会長のままでした。
もちろん人に見せない彼の無念さや苦しみは想像を絶するものがあっただろうに、ついぞ一度もそういうそぶりを他人に見せず、最後まで強さと笑い声だけを人々の記憶に残して、会長は天に昇っていきました。
最期はお母さんに背中をさすられながら座ったまま亡くなったと聞きました。

一度二人で温泉に行った時、死について語ったことがありました。
「自分の今の夢は、あったかい布団の中でぐっすり眠ってそのまま逝くことかなぁ〜」とまるで憧れでも抱くような口調で言っていました。
冗談とも本気とも取れるその言葉に彼の真実を見た気がして、その時は何も言えませんでした。
布団ではないけれどお母さんにさすられながら眠ったなんて、本当によかった。
そう思いました。

そしてまた、こうも思いました。
生きてるのにこの先もう会うことのない知り合いと、肉体的には死んでしまったけどこうして心で結びついている人と、どちらが「生きている」ということなんだろうかと。




会長の体は消えてしまいましたが彼の言葉や表情や笑い声は僕の心にどんと居座り、しょっちゅう肩を叩いては「学、馬鹿かお前は!」と笑い飛ばすので、僕は不思議と悲しくないのです。
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by mag-ikeda | 2016-01-14 17:36