池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

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池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

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第62便「ケガ」

人生には予期しない事が起こります。
作品の完成まで1年を切り、さあラストスパートでエンジン全開と思った矢先、怪我をしてしまいました。
しかも商売道具の右腕を。
診断は右肩脱臼。
脱臼の際に筋肉と一緒に神経が伸びてしまったらしく、右手は痺れてほとんど動かず、かろうじて人差し指と中指がピクピクと動くだけ。
まさに地獄に突き落とされたその日は、年も明け、作品も完成に向けいよいよ上部に取りかかろうかという矢先の、1月半ばの日曜日でした。


その日眼が覚めると外は真っ青な快晴。
久しぶりに寝室いっぱいに差し込む柔らかで明るい陽の光。
年末年始もスタジオで作品にかかりきりになっていた僕は、こんな日くらいは仕事を休んで疲れを癒そうと、午後から近所のスキー場に行く事にしました。
久しぶりに走る日中の雪道は日差しも照りつけ、張り詰めた気持ちがみるみる和らいでいきます。
その時僕の頭にあったのは、青空の下で2、3時間、ちょっと滑って帰ろうという、それだけのものでした。
今絶対に怪我はできない状況は十分わかっていたし、日頃から気をつけて生活していたつもりでした。


しかしスキー場に着いた瞬間、めったに会わないスキー仲間に会ってしまったのが今思えば運のツキだったのかもしれません。
10代の彼らは僕を見るなり「一緒に滑ろうぜ!」と誘ってきます。
ここ数年、時々仕事後に夜1時間ほど一人で滑っていた僕はその呼びかけが嬉しく、日中の開放感も相まって彼らと一緒に滑る事にしました。
いつもなら慎重にウォーミングアップをする自分がこの時はやはり随分舞い上がっていたのでしょう、準備運動もろくにしないまま彼らについて行きました。
そして滑り始めてわずか15分、ここでいいとこ見せてやれとジャンプして着地した刹那、右ひざを捻って転倒、その際右手をおそらくついたのでしょう、そのまま転がり脱臼。


瞬間襲ってきた想像を絶するような痛み。急速に広がる手の痺れ。
あまりの激痛に気が遠くなりながらも、仲間が呼んでくれたパトロールを待っている間に頭を回り続けたのはただただ夢なら覚めてくれという願い。
2日後に控えた日本からの取材。雑誌のインタビュー。作品の締め切り。来年の個展のスケジュール….様々なことが途切れ途切れに駆け巡り、どうしよう。どうしよう。。。
わずか数分前の自分、目覚めた朝の空の青さ、スキー場へと続く道の穏やかな景色…
なぜスキーに行こうと思ったんだろう、なぜ一瞬躊躇しなかったんだろう、なぜ….
もし天気が悪ければ、もし友達と会わなければ、もしあの時….
過ぎてしまった数分前の過去にすがりつき、今の現実に惨めなほどに逆らい、目の前の明るい雪面と、今では違う世界になってしまった自分以外の人々と風景が、ただただ残酷だったのを覚えています。


こんな時期にスキーに行ったお前が悪いと言われればそれまでですが、ジャンプ自体はもう10年以上やっていることで特別無茶をしたわけではなく、それよりも普段から怪我をしないよう人一倍気を使っていた自分が、
わずかな偶然の積み重なりでこんなにもあっけなくタガが外れてしまうということが情けなく、またショックでした。
今思い出してもあの時の思考回路は魔が差したとしか思えないほど軽率だったのだったけれど、自分は落るべくして落とし穴に落ちたのです。要はやはり認識が甘かったということです。
と同時に、こんなにも突然に、それまでの日常は変わってしまうのだということが信じられませんでした。


パトロール小屋に運ばれていろいろと当時の状況を尋ねられます。
痛みで意識が朦朧としている状況で英語を話すというのは、それは過酷なものです。
パトロールは常に最悪な状況を考えて行動するので、やたらに動かしたり水を与えたりはしません。
僕が頭を打っているかもということも想定して意識確認を行うのですが、僕は頭は打っていないことははっきりと分かっていて、質問は分かるのだけど、ただこの場で英語を喋るほど冷静でもいられず、とにかく痛くて気絶をしてしまいたいと願っていたほどでした。
「目を開けて!酸素を吸って!」気絶もさせてもらえず、なんとか質問に答えているうちに救急車が到着。
そのまま乗せられて揺れる車内で夢よ覚めよと願いながら痛みに耐え、街にある大きな病院の救急外来に着いたのは怪我をしてから約2時間後のこと。


病院に着くなりいろいろと診察され、よくわからない専門用語が頭上を飛び交っているのをただ聞いているうちにマスクをつけられ、「ちょっと眠ってね。」と言われて医師が出て行き、気付いたら痛みが嘘のように消えていました。
自分ではずっと起きてて先生の帰りを待ってたつもりがコロリと眠らされ、その間に外れた肩がきれいに戻されていたのです。
その後MRIやレントゲンを撮り、手の動きや感覚を確かめた上での先生の診断は、
「脱臼。それに伴う神経損傷」
というものでした。



救急外来で処置を受け帰宅した翌日、後悔と懺悔の念に打ちひしがれ、未だ呆然とした状況の中、友人たちがスキー場まで車を取りに行ってくれたり家に来て簡単な食事を作ってくれたりしました。
家族が全員日本に帰っている今、これからあらゆることを左手一本でやらなければならないことへの絶望感。
1日前までの日常がすっかり変わってしまったことへの現実をなお受け止めきれず、自分でも笑ってしまうほど全く動かない右手を力なく見つめるだけ。
これまで意識することなく勝手に動いていた右手が、今では重さ数キロのただの肉の塊。こんなにも重さのあるものだとは考えたことさえもありませんでした。


診察の結果わかったことは、脱臼した際に外れた肩と一緒にその下を通っている右手の神経も伸ばされ、筋肉とともにダメージを受けているというもの。
ただし切れているわけではないので、弱いものの感覚はあり、指先はわずかですが動きます。
これからいろいろな検査をすることでもっと具体的な内容が分かるものの、回復には数か月を要するだろうということでした。
神経が切れるという最悪の事態は免れたので一応はホッとしましたが、家族が日本から帰ってくる春までこの極寒の土地で、一人ですべてのことをやらなくてはいけないという試練と、
右手が使えなくなった今どうやって作品を作っていけばいいのかという絶望感、予想される莫大な治療費、ギャラリーや美術館への説明責任…
消えてしまいたいような思い。


それにしてもあの一瞬で。
やはりどうやっても信じられない。
あんな一瞬の判断ミスでここまでいろんなものを失ってしまうとは。
時々「もし右手が使えなくなっても左があるさ。左も駄目なら口で描く」などと思ったものでしたが、それは現実を知らない甘ちゃんの戯言でした。
どんなに気合を入れようが精神を集中しようが、目の前のコップが空に浮かないのと同じ。
動かないもんは動かない。
たかが脱臼でこんなになるか?
よく千代の富士やスポーツ選手が脱臼で痛そうな表情してたのをテレビで見てたけど、ここまでじゃなかったぞ
などと漠然と思いを巡らしていた時、玄関のドアがノックされました。
知らせを聞いたカレンが旦那さんのマイクと一緒に飛んできてくれたのでした。


開口一番「これから簡単に荷物をまとめて家にいらっしゃい。私の家には部屋も空いてるし、マイクもドクターだからマナブの症状も診てあげれるし、
なによりお風呂や食事も一人じゃできないでしょ。十日ほど様子見て動けるようになったら帰ればいいんだから。」


なんというありがたい申し出。
とにかくこうして怪我の翌日から、カレンの家にお世話になることになりました。
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by mag-ikeda | 2016-06-24 20:05

第61便「Karen」

美術館にはたくさんのDocent(ドーセン)という人たちがいます。
聞きなれない言葉ですが、いわゆる美術館のガイドさんのことで、定年後の学校の先生たちが中心で、ボランティアで団体客や子供達に美術館を案内しているのです。
僕のスタジオにも毎日ドーセンのおばさんが見学者を連れてきて、僕のことや作品について説明をしたり、見学者が作品に触れないように監視してくれています。
皆いろいろと気にかけてくれていて、スイーツや花、僕の興味のありそうな記事の切り抜きなどを持ってきてくれたり、中には夕食に招待してくれる人までいます。

その一人がKaren(カレン)さん。
心理学者、そして会社組織のカウンセラーでもある彼女は、とにかくフレンドリー。
最初は僕の週一回の英会話の相手だったのが、やがて食事に誘ってくれたり遊びに行ったり、そして今では娘達のおばあちゃん代わりまで。
僕らが忙しかったりどちらかが風邪を引いた時などは子供達を遊びに連れて行ってくれるのです。
とにかくいろいろと世話を焼いてくれる彼女。
こういうことに慣れていない僕らは最初、「なんでそこまでしてくれるの?」という疑念が消えませんでしたが、カレンさんの人柄に触れるうちに、彼女はただ純粋にしてあげたいことをしてくれているだけなのだということに気がつきました。


いろいろな事に興味があってとにかく話好きのカレン、話していて気まずいということがありません。
これまでも何人かネイティブの人に英会話のパートナーになってもらいましたが、聞くのも話すのも本当に楽しそう。
こちらのたどたどしい英語にも耳を傾け、さらに会話を広げてくれるので自然に雰囲気も盛り上がり、話しているこっちも自信がついてきます。
心理学者ということもあって会話術に長けているというのもあるかもしれませんが、それ以上に人のことを知るという探求を心から楽しんでいるのが伝わってきて、それが相手の心を和ませるに違いありません。


自分の限界を定めずに、幾つになっても旺盛な好奇心と常に前向きな思考で人生を楽しんでいるカレンのような人が、ここには多いような気がします。
我々日本人は、相手を思いやる気持ちはあっても、恥ずかしさや気遣いが邪魔をしてなかなかダイレクトに行動に移すことはできませんが、彼女を見ていると、自分の気持ちにまずは正直に行動してみることの大事さがよくわかります。
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by mag-ikeda | 2016-06-11 14:07

第60便「新しい命」

11月に三女が生まれました。

次女のここでの壮絶な帝王切開から2年。
まさか三女が生まれるとは正直予想してなかったのは僕だけで、待ち望んでいた妻は大喜び!
…というのは若干オーバーだけど、でも「子供は4人以上!」と言ってはばからなかった妻にしてみれば目的達成のためには早ければ早いほど良い!
というわけで今回の出産と相成りました。


「もう二度とアメリカで帝王切開はしない!」
という妻のたっての願いとちょっと諸々諸事情あって、僕を残して日本に家族が帰ったのは昨年5月。
出産予定は11月で、赤ちゃんが飛行機に乗れるくらいまで育つのと極寒の冬が終わるのを待って、帰ってくるのはおそらく今年の3月。
約10ヶ月の一人暮らしです。


僕としては寂しい反面、作品だけに集中できるのでスピードアップも見込める上、降って湧いたような久しぶりの独身生活、しかもアメリカで!
始まった当初こそいろいろ戸惑ったものの、10年以上の東京での自炊生活の勘もすぐに戻ってきて、毎日スタジオに出かけては、夜は有り余った時間を釣りに行くもよし!
英語の勉強するもよし!クライミングに行くもよし!
食事作りもまぁ楽しいもんです。
なによりスタジオにいる時はもちろん、それ以外の時間も何者にも邪魔されず作品のことだけを考えていられる日々。
こんなにも作品だけに時間を捧げているのは二十歳の頃、来る日も来る日もデッサンに明け暮れていた浪人生以来のことです。


それはともかく、無事に産まれてくれてよかった。
今回の出産も必ずしもすべて順調なわけではなく、いくつかのハードルがありましたが、先日の親友の死と時をほぼ同じくして誕生したこの新しい命。
たくさんの想いや希望とともに、こうして受け継がれていくのですね。
大切に大切に、育てていかねばなりません。



出産は僕の代わりに長女が立ち会ったそう!
いや〜さすが女の子、たくましい。

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by mag-ikeda | 2016-06-04 12:48