池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

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池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

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第66便 「4月」

怪我をしてから3ヶ月。
カレンの庭の雪も消え、春の気配が漂ってきました。
当初は指先が痺れ、ほとんど動かなかった右手は毎日のリハビリの甲斐もあってか、徐々に動くようになってきました。
全く上がらなかった腕はしだいに上がるようになり、押したり引いたり捻ったり、そして物を掴む動作も少しづつ回復しています。
先生からは神経が切れてはいないのでそのうちどんどん動くようになるよと言われていましたが、それでも体の中で最も回復が遅いと言われる神経だけあって、痛めた場所から一ヶ月に約3センチくらいしか治っていかないそうで、
僕の肩から指先までの距離を考えるとちゃんと動くようになるにはおそらく1年近くかかるらしく、ただただ時間だけが必要なのですが、それでも予想していたよりずっと早い機能の回復に先生方から安心したという言葉をいただきました。
今では食事も着替えも両手で(もちろん左手の見違えるような成長のおかげもあって)こなし、そしてついに運転も解禁!
これまで毎回病院や美術館への送り迎えをカレンや他のドーセンの方々にもお願いしていたので、これは大きな進展です。


これを期に、3ヶ月お世話になったカレンの家での生活からも自立し、アパートに帰ることになりました。
出産を終え、約1年ぶりにマディソンに帰ってくる家族との再開を目前に控え、娘たちの世話のためにも少しでも自立しておかなければなりません。


肝心の絵を描く作業ですが、幸い指の神経の中でも握る方の神経はダメージがあまりなく、ペンを操る機能は日に日に戻ってきて左手一本に頼りきっていた作業も徐々に右手に持ち替えることが出来るようになりました。
ただ3ヶ月間使っていなかった右手の筋肉はびっくりするほど弱くなり、5分もすると疲れて左手にチェンジという有様…。ですが、何より使うことが一番のリハビリ。
完全に回復するその日まで、今しばらくは左手との共同作業になりそうですが、とにかく、とにかく最大のピンチは乗り切りました。


ドローイングの充分な練習をする時間的余裕はなく、ほんの数枚スケッチブックに描いただけでいきなり本番に投入された左手ですが、
とにかく使うしかないという危機的状況で肝が据わった彼の進歩は素晴らしく、スピードは幾分落ちたもののブランクを開けることなくしっかりとその間の仕事をやりきってくれました。
人間何事も追い詰められればできるものです。
また、この出来事によって結果的に作品上部の構想が決まり、おぼろげだった絵の最終形態がようやく具体的に頭に描けるようになってきたことはこの作品の制作過程において、一つの大きな山を越えたと言えるものでした。






今回のモチーフは一本の樹です。
それも災害で傾きつつある巨大な樹。

震災以来、樹はこれまで以上に特別な存在として僕の目に映るようになりました。
陸前高田で見た津波から生き残った一本松や、何世代にわたって成長し続けるバンクーバーの深い森。
ニューメキシコ州の岩山で見た、地面が雨で流され根っこがむき出しになりながら立っていた一本の樹の生命力も忘れられません。。
苦境にあって、ものも言わずそこに立ち続ける樹という存在は、自然そのものの偉大さのみならず、災害によって痛めつけられた我々人間の今現在の姿をも象徴しているようで、制作を進めるうち、徐々に全体を樹にしようという構想が固まってきました。
下部は災害による瓦礫の山。中部は傾きつつも生き物や漂着物と共に上に向かって伸びている巨大な樹の幹や枝の部分。
そこまで進めたものの、上部に差しかかり始めた頃パタリと手が止まってしまいました。
ぼんやりしたイメージはあるものの、これといった説得力が弱く、自分でまだゴーサインが出せなかったのです。



そんな中で起きた今回の怪我。



ダメージを受けた自分の神経や細胞が少しずつ再生し、元の機能を取り戻してゆく姿と
災害によって傾いた樹がそれでも枝を伸ばし、やがて満開の花を咲かせつつある姿。
この全く異なる二つが結びつき、共に伸びてゆくというアイデアがある日の夕方、帰り支度をしてる時に突然ポンっと生まれたのです。

考えてみればこの2年半、作品と向き合ううちに徐々に「災害=復興」というありふれたイメージに囚われ、絵がどことなく硬くなっていると感じていました。
震災について見聞きし、情報を得れば得るほど頭でっかちになり過ぎ、アイデアが偏り、自由さがなくなり。。。
このまま進んでいってもどっかで頭打ちになってしまう、そういう焦りがずっと頭にありました。
この怪我の代償は本当に大きかったけれども、それにより新しいアイデアが生まれ行き詰まった状況を打破してくれたのであれば、これも作品のために意味があったと思った方が得です。
というかそう思いたい。

自然災害と個人の怪我はまったく無関係、被災者に対して不謹慎だという声もあるかもしれませんが、
そもそも個人的な出来事を織り交ぜ、まったく脈絡のないもの同士を組み込みながら一つの世界を描くのが僕の表現。
ここまできたら自分を信じてやりきらなくてはこれから先に進めません。



完成まであと8ヶ月。
ようやく目指す頂上の姿が見えました。
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by mag-ikeda | 2016-10-15 19:13 | Comments(5)