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池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

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【第97便】「自宅滞在命令」

2月の終わりに一人でマディソンに帰ってきました。

家族は3月の終わりまで日本に滞在する予定なので、しばらくはこちらで気ままな一人暮らし…のつもりでしたが…。

今になって思えばこの頃はまだ随分とのんびりしたものでした。

日本で騒がれていたコロナウィルスはまだどこか対岸の火事という様子で、空港でもさしたる検問やパニックもなし、いたって平常通りに帰ってきたのでした。


それがあれよあれよという間に世界中で感染が拡大し、シカゴの日本領事館から届く緊急メールの内容も深刻さを増したと思ったらあっという間に非常事態宣言、そして1週間後にはこの「自宅滞在命令」。

食料品の買い物や病院などの必要不可欠の外出を除き、家にいなければいけないという政府からの命令で、違反した場合には懲役や罰金が課せられます。

散歩は大丈夫ですが、その場合も家族以外の人とは2メートル以上の距離を開けることが条件です。以前はすれ違う人同士で握手をしたり会話したりという光景が日常的でしたが、今は前から人が来るのが分かるとサッと反対側に移動。お互い気をつけているから仕方ないとは言え、殺伐とした感じは否めません。

子供達も友達と遊ぶことも許されず、ずっと家の中にいなければならないことを考えると、寂しいですが家族はしばらくこのまま日本にいた方が良さそうです。

もちろん仕事場のエピックにも行けないので、命令の出る前日に急いで絵の道具だけ運んで、急きょ自宅にスタジオを作りました。

滞在命令はとりあえず1ヶ月。その間に小さな作品を作ったり、出来ることをやるしかありません。


しかしこうなってくると、2ヶ月前日本に帰国した時に感じた、全員がマスク姿で異様な光景というのも笑い事では済まなくなってきます。世界中で爆発的に感染が進むのは、マスクをする習慣がないということも大きな要因の一つに感じられてなりません。

日本の状況がこれからどうなっていくのかはこれを書いている3月後半の現在では分かりませんが、現時点では諸外国に比べ驚くほどのんびりしているように見えても感染者や死者の数が欧米ほど多くないのは、そうした習慣が見えない堤防のような役割をしているのでしょうか。


こちらでは今まさに非常事態そのもので、携帯からは州知事や市長からの呼びかけや臨時ニュースのアラートが鳴り、人々は息をひそめるようにして家に閉じこもり、窓から青空を眺めるしかありません。


(佐賀新聞 2020年4月掲載)


【第97便】「自宅滞在命令」_b0290617_00130639.jpg
次回は7月24日 31日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-07-18 00:18

【第96便】「日本・その2」

東京での最初の一週間はまさに天国にいるよう。

食べ物から着るもの、本や日用品までありとあらゆるものが簡単に手に入り、そのどれもが美味しかったり綺麗だったり便利だったり、もう感動のしっぱなしです。

マディソンで自分たちがいかにいろんなものを我慢したり妥協したりしながら生活しているのかということがここに来ると浮き彫りになって涙が出てきそう。

なんという品物の豊かさ。選択肢の多さに逆に不安になるくらいです。

しかし考えれば少子高齢化でこれからどんどん人口が減っていくといわれる中で、物だけは相変わらず有り余るほどに溢れているこの光景を見ると、これがかりそめの華やかさの様に思えてしまうのも事実。

10年後の未来は果たしてどうなっているのでしょうか。


さて東京でいくつかの用事を済まし、円空賞の授賞式のために一路岐阜へ。

新幹線の車窓から見える真っ白な富士山にしばし心を奪われながら名古屋に到着。岐阜へはそこから電車でわずか20分です。

授賞式での出来事はまた後日お伝えするとして、それに関連したイベントや各メディアへの取材で数日間滞在した後は佐賀へ向かいます。


佐賀での滞在はわずか4日間と短かったものの、温泉に連れて行ってもらったり美味しい郷土の味をご馳走になったりして、束の間、心と体を休めることができました。

また有り難いことに県内のある学校から講演の依頼をいただき、中高生を前に話をさせてもらうことができました。

自分がアーティストとして海外で暮らしながら見たこと、感じたことを中心に話しましたが生徒のみんなは熱心に耳を傾けてくれ、講演後もたくさんの生徒から質問をもらいました。

みんなそれぞれにぶつかっている壁や不安があって、あの頃自分も同じような目をして先生に質問していたな…と胸が熱くなりました。

中でも感動したのは生徒たちのふとした行動や所作。敬語はもちろんですが、ペンを渡したりお辞儀をする時など、そのどれもが自然で美しかったのです。

ここにいれば当たり前のことでしょうが、アメリカに暮らす僕の目にはそれらがとても懐かしく、そして特別で誇らしいものとして映りました。

日本にはあってアメリカには無いもの。自分の子供達にも絶対に引き継いでいってほしい日本文化の一つです。

物質的ではない、本当の豊かさをまた一つ発見したような思いがしました。


(佐賀新聞2020年3月掲載)


【第96便】「日本・その2」_b0290617_16184359.jpg

次回は7月17日(土)更新予定です。



# by mag-ikeda | 2021-07-10 16:22

【第95便】「日本・その1」

岐阜県美術館が主催する「円空大賞展」に僕の作品が選ばれ、授賞式のために家族みんなで日本に帰ってきました。

約一年半ぶりの祖国。

暖かい湿った空気、冬枯れの田んぼや山々の淡い色合い、空港や電車内に響く優しいトーンのアナウンス、黒髪の人々、至る所に描かれている可愛いキャラクター達、ジュースの自動販売機などなど、そのどれもが嬉しくて優しく、懐かしい。

以前は外国のようによそよそしく感じた成田空港でさえ、まるで実家のような安心感。

何しろ全てが日本語で済むのですから、これ以上楽な事が他にあるでしょうか。

日頃張り詰めていた糸がほどけ、顔の筋肉も緩みっぱなしの両親をよそに子供達はまるで初めてのものを見るように目をキラキラさせながら、全身で日本の空気を楽しんでいます。


ところで海外に住み始めてもうすぐ10年、毎回帰国するたびに、日本では当たり前だったものが改めて見てみると面白くて不思議な光景として映るようになってきました。

その代表的なものがマスク。

アメリカではマスクをするのは病院だけで、外でしている人を見る事はまずありません。

以前子供の学校に付けて行った時にはみんなからジロジロ見られ、さすがに気まずくなって外したぐらいで、後で友達に聞いたら「こっちではマスクをしてると保菌者だと思われて警戒されるんだよ」と言われてびっくり仰天した事がありました。

それからのぼり旗。レストランやクルマ屋さんの周りに立ってるアレです。

これも海外では見た事がなく、ひょっとすると戦国時代の戦や城の名残で、意外にものすごく日本的なのかなぁ…と思ったりもします。

クリーニング屋さんのディスプレイも面白いものの一つで、店舗の壁やガラスに所狭しと貼ってある値段やサービス内容のステッカーがとてもファンシーである反面、余白があるとついあれこれ描いてしまう僕の性分を見ているようで複雑な気持ちになることも…

でも狭い国土に道路や建物が密集し、さらに文字や絵などの視覚的情報がそこかしこに散りばめられた風土で育ったからこそ、僕のような密集した絵のスタイルが出来上がったのかもしれません。

最後はトイレ。「開けたら閉めよ」のスローガンが学校や家では当たり前だった僕からすると、アメリカの「使ってない時はトイレのドアは開けておく」というのには当初とても混乱させられました。日本では誰かが入っていようがいまいがトイレの扉は閉まっているのでいちいちノックしなければならず、子供達にとってはちょっと大変そう。

いずれにしても新鮮な目で祖国を見るというのは気付きがたくさんあってとても面白いもの。

滞在中に発見したものを持ち帰って、絵の材料にできたらと思います。
(佐賀新聞 2020年2月掲載)

【第95便】「日本・その1」_b0290617_16181840.jpg

次回は7月10日更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-07-03 16:22

【第94便】「見方を変える」

想像力。

この言葉がかつてないほど大きく、僕の中で意味を持ち始めています。

小さな頃から絵ばかり描いてきた僕ですが、アイデアや発想というよりも、何かを見て描くのが得意でした。

大きくなってからも、デッサンや細密描写が大好きでした。

画家になった現在もそれは変わらず、モチーフを観察することから絵のインスピレーションを得る場合がほとんどです。

自分の実体験で目にしたものから想像が膨らみ、それらを絵の中にたくさん詰め込んで作品が完成するので、新しい体験が制作のためにはとても重要で、特に大きな作品においては必ずそれがあり、メインのテーマに繋がっています。

例えば「誕生」はバンクーバーやマディソンで目にしたモチーフと、東日本大震災という事象が結びついて生まれましたし、「存在」はアジア旅行が元になっているといった感じです。しかし今回はそのプロセスを変えなければいけないかもしれません。


チェイゼン美術館での制作が終わり、Epicから制作場所を提供されたのはとてもラッキーな事でしたが、その反面、同じ場所に居続けながら再び大きな作品に取り組むことにもなってしまいました。

自然災害がほとんど無い反面、地形変化の乏しいマディソンはどこに行っても広い平原があるだけで、僕にとっては刺激的な風景に出会うことはあまりありません。

また家族も増え、以前のように取材と称していろんな場所に出かけて行くのも難しくなりました。

家事に育児に、家と仕事場の往復だけの日常からはアイデアを見つけることは簡単なことではありません。

そうなるとどうしてもパソコンを開き、いわゆる絵のネタを得ようと画像検索を始めてしまいますが、これが危険な落とし穴。

商品カタログを集めてるようなもんで、いくら写真を見たところでそれらの情報に振り回され、自分を見失って手が止まる。

苦し紛れに何か描いてもせいぜいその写真の模倣で終わるという悪循環。

もともとそこには自分の体験も特別な思いもないのだから、当然と言えば当然です。

見て描くのが得意という特徴はこうなると欠点でしかありません。


だからこそ、「想像する」という事が今の僕にはこれまで以上に必要なのです。

時間的に取材に行けないのなら、自分の日常に目を凝らしてみる。想像力を総動員して。

そうすると、お風呂のお湯も大海に姿を変え、シンクの水もうず潮に見えてくる。

自分の身の回りに絵のヒントはたくさん転がっていたのです。

改めて「何を見るか」というより「どう見るか」という事の大切さに気付かされました。



身近なものを使って超大作を描く。これは僕にとってはこれまでとは違った意味での大きな挑戦です。

今の状況をマイナスととらえる人も居ますが、僕はそうは思いません。

年齢とともに体力や時間、環境も変わっていくのは皆同じで、その中で誰しもそれに合わせて進化していかなければいけない。

これも絵の神様からの試練のひとつと考えています。

(佐賀新聞2020年1月掲載)


【第94便】「見方を変える」_b0290617_12183016.jpeg

次回は6月26日(土)7月3日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-06-19 12:24

【第93便】「出産」

先月、我が家に待望の長男が産まれました。


出産はマディソンの病院で、家族全員と友人まで参加してみんなで立ち会い、賑やかで感動的な体験となりました。

娘たちは弟が生まれてくるその瞬間を傍らで興味深そうに見守り、看護婦さんに時折質問したり、お互いに手を握ったりしながら命が生まれてくるとはどういうことか、その小さな心でいろいろと考えているのでしょう。

友人も妻の背中をさする僕の側で、写真を撮ったり通訳をして助けてくれます。

産まれた瞬間はみんなでワッと歓声、へその緒も娘たちが切りました。


しかしここで出産をするという決断に至る道のりは本当に長かった。

日本に一時帰国して出産した方がいろいろと楽なことは目に見えて明らかです。

が、そもそも自分達の意思でここに住んでいる以上は、中途半端に日本に頼らず、自分達で全てをやりきることが当然ではないか。その事が子供達や我々を大きく成長させてくれるのではないか。それが決め手となりました。


とはいえなかなかこれが大変です。我が家の大人2人のうち1人が動けないわけですから、全てが僕の肩にのしかかってきます。仕事を休んで家事に育児に学校の送り迎えから寝かしつけに振り回される毎日。休む暇もないとはこういう事か!

妻はこの、誰にも称賛されることもなく給料をもらえるわけでもない大変な仕事を、僕がスタジオに行っている間に1人でやっていたのか。主婦という仕事の大変さと尊さを自分がやってみて初めて知りました。

そしてこの事が長女の責任感に火を点けてくれました。ママの代わりは私しかいないと毎朝自分達のお弁当を作り、食後の片づけから妹達のお風呂まで、本当によく助けてくれます。

そして沢山の友達の存在。

みんなで食事当番チームを結成し、3日ごとに暖かい夕食を届けてくれる事になったのです。

それ以外にも近所の人や娘の友達のお母さん、ピアノの先生まで、事あるごとに食事を持ってきてくれたり、庭の掃除やゴミ捨てをしてくれたり、子供達を預かってくれたり、花を持ってきてくれたり… 事情があって助けに来れない日本の両親の代わりに、みんなが協力して我々家族を支えてくれているのです。

これほどのことを一体誰が予想したでしょう。

この出産を通して、また改めて人々の優しさとありがたさに触れる事ができました。

息子のミドルネームは、この街での全ての経験に感謝と敬意を表して、「マディソン」とつけました。

(佐賀新聞2019年12月掲載)


【第93便】「出産」_b0290617_14383913.jpg


次回は6月19日(土)更新予定です。



# by mag-ikeda | 2021-06-12 14:41