池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

プロフィールを見る
画像一覧

池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

バンクーバー日記


ミヅマアートギャラリー

最新の記事

第66便 「4月」
at 2016-10-15 19:13
第65便 「視点の違い」
at 2016-09-27 21:33
第64便 「初めての絵」
at 2016-07-22 17:48
第63便 「新たな挑戦」
at 2016-07-08 12:48
第62便「ケガ」
at 2016-06-24 20:05
第61便「Karen」
at 2016-06-11 14:07
第60便「新しい命」
at 2016-06-04 12:48
第59便「生きるということ」
at 2016-01-14 17:36
58便 「細部と全体」
at 2015-09-11 20:46
第57便 「2年」
at 2015-08-25 21:56
第56便 「中島千波先生」
at 2015-07-10 18:20
第55便「日本代表!」
at 2015-06-09 21:15
第54便「タイムラプス撮影」
at 2015-05-15 18:39
第53便「Gateとグラウン..
at 2015-04-11 17:25
第52便「Garden of..
at 2015-03-23 17:51

以前の記事

2016年 10月
2016年 09月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月

画像一覧

検索

外部リンク

第61便「Karen」

美術館にはたくさんのDocent(ドーセン)という人たちがいます。
聞きなれない言葉ですが、いわゆる美術館のガイドさんのことで、定年後の学校の先生たちが中心で、ボランティアで団体客や子供達に美術館を案内しているのです。
僕のスタジオにも毎日ドーセンのおばさんが見学者を連れてきて、僕のことや作品について説明をしたり、見学者が作品に触れないように監視してくれています。
皆いろいろと気にかけてくれていて、スイーツや花、僕の興味のありそうな記事の切り抜きなどを持ってきてくれたり、中には夕食に招待してくれる人までいます。

その一人がKaren(カレン)さん。
心理学者、そして会社組織のカウンセラーでもある彼女は、とにかくフレンドリー。
最初は僕の週一回の英会話の相手だったのが、やがて食事に誘ってくれたり遊びに行ったり、そして今では娘達のおばあちゃん代わりまで。
僕らが忙しかったりどちらかが風邪を引いた時などは子供達を遊びに連れて行ってくれるのです。
とにかくいろいろと世話を焼いてくれる彼女。
こういうことに慣れていない僕らは最初、「なんでそこまでしてくれるの?」という疑念が消えませんでしたが、カレンさんの人柄に触れるうちに、彼女はただ純粋にしてあげたいことをしてくれているだけなのだということに気がつきました。


いろいろな事に興味があってとにかく話好きのカレン、話していて気まずいということがありません。
これまでも何人かネイティブの人に英会話のパートナーになってもらいましたが、聞くのも話すのも本当に楽しそう。
こちらのたどたどしい英語にも耳を傾け、さらに会話を広げてくれるので自然に雰囲気も盛り上がり、話しているこっちも自信がついてきます。
心理学者ということもあって会話術に長けているというのもあるかもしれませんが、それ以上に人のことを知るという探求を心から楽しんでいるのが伝わってきて、それが相手の心を和ませるに違いありません。


自分の限界を定めずに、幾つになっても旺盛な好奇心と常に前向きな思考で人生を楽しんでいるカレンのような人が、ここには多いような気がします。
我々日本人は、相手を思いやる気持ちはあっても、恥ずかしさや気遣いが邪魔をしてなかなかダイレクトに行動に移すことはできませんが、彼女を見ていると、自分の気持ちにまずは正直に行動してみることの大事さがよくわかります。
b0290617_145313.jpg

[PR]
# by mag-ikeda | 2016-06-11 14:07 | Comments(1)

第60便「新しい命」

11月に三女が生まれました。

次女のここでの壮絶な帝王切開から2年。
まさか三女が生まれるとは正直予想してなかったのは僕だけで、待ち望んでいた妻は大喜び!
…というのは若干オーバーだけど、でも「子供は4人以上!」と言ってはばからなかった妻にしてみれば目的達成のためには早ければ早いほど良い!
というわけで今回の出産と相成りました。


「もう二度とアメリカで帝王切開はしない!」
という妻のたっての願いとちょっと諸々諸事情あって、僕を残して日本に家族が帰ったのは昨年5月。
出産予定は11月で、赤ちゃんが飛行機に乗れるくらいまで育つのと極寒の冬が終わるのを待って、帰ってくるのはおそらく今年の3月。
約10ヶ月の一人暮らしです。


僕としては寂しい反面、作品だけに集中できるのでスピードアップも見込める上、降って湧いたような久しぶりの独身生活、しかもアメリカで!
始まった当初こそいろいろ戸惑ったものの、10年以上の東京での自炊生活の勘もすぐに戻ってきて、毎日スタジオに出かけては、夜は有り余った時間を釣りに行くもよし!
英語の勉強するもよし!クライミングに行くもよし!
食事作りもまぁ楽しいもんです。
なによりスタジオにいる時はもちろん、それ以外の時間も何者にも邪魔されず作品のことだけを考えていられる日々。
こんなにも作品だけに時間を捧げているのは二十歳の頃、来る日も来る日もデッサンに明け暮れていた浪人生以来のことです。


それはともかく、無事に産まれてくれてよかった。
今回の出産も必ずしもすべて順調なわけではなく、いくつかのハードルがありましたが、先日の親友の死と時をほぼ同じくして誕生したこの新しい命。
たくさんの想いや希望とともに、こうして受け継がれていくのですね。
大切に大切に、育てていかねばなりません。



出産は僕の代わりに長女が立ち会ったそう!
いや〜さすが女の子、たくましい。

b0290617_12474443.jpg

[PR]
# by mag-ikeda | 2016-06-04 12:48 | Comments(0)

第59便「生きるということ」

先日僕の親友が亡くなりました。


彼は高校時代の同級生。
その明るさと社交性は高校生離れしており、3年間を通して学級委員長。
周りのみんなを惹きつけ、人の輪を繋ぐことにかけては天賦の才能を持ったクラスの人気者でした。
「会長」のニックネームがこれほどイヤミなくしっくりくる奴はいるだろうか、と思えるほど頼り甲斐のある彼がある日「将来は総理大臣になる」と言ったことがあり、冗談か本気かはさておき「あるいはほんとになれるかもしれない。」と思ったのをよく覚えています。
山形の大学に進んだ彼はそこでもその強烈なキャラクターと行動力でみんなに愛され、やがて山形で数店の飲食店を経営するオーナーに。
さらに地元の青年部や議会でも人望を集め、山形を全国に紹介したい!という強い信念のもと昼夜を惜しまず走り回っていました。

高校を卒業してからの数年間、自分のことで精一杯の我らはお互いコンタクトを取ることもなく、数年に一度顔を合わせることがあっても互いの住んでいる世界が違いすぎて交わる部分も少ないことから、「高校時代の同級生」という月並みな存在のまま、それぞれが離れた場所で生きていました。
それが再び交わり始めたのが2011年、会長がガンだと知らされた夏でした。
あまりの衝撃に狼狽し、話す言葉も見つからない僕に向かって久しぶりに聞く電話の向こうの声はいつものように明るく、まるでちょっと風邪でもひいたかのような口ぶりです。
そんな彼の心情を思い、それからというもの僕は落ち込み、彼の抱えている不安や悔しさに思いを馳せ、そして病気の恐ろしさを自分のことのように感じては、毎日ため息をついていました。



一時帰国で数年ぶりに会った会長は僕の想像とは程遠く、いつものようにエネルギーに満ち溢れた男のままでした。
ぼくのイメージしていた弱々しい患者の姿はどこにもなく、逆に心配してる僕の方が肩を叩かれ叱咤激励される始末。
そして自分の無茶な生活を気づかせてくれたこの病気に心底感謝していると語る顔。
それはまるでようやく見つけたものを大切に抱きしめるような表情で、病気を自分の一部として、闘うというより寄り添いながら生きていこうとするかのような彼の姿勢が、僕は俄かに信じられませんでした。
この強さは一体どこからくるんだろう。



それからというもの頻繁に連絡を取り合うようになった僕らは定期的に連絡し合い、帰国した時には会っていろいろなことを話しました。
いつ会っても会長は会長のまま、仕事をかなりセーブしているものの仕事先からのメールや電話も頻繁にかかってきます。
その度に大きな声で明るく笑い、悩んでいる部下の背中を叩いて励まし、まるでこっちがつい楽しくなってしまうような朗らかなやり取りを見ていると、彼にとって病気とはなんだろう...と考えずにはいられません。
「俺はいま毎日本当に幸せさい。周りの人達にも、この病気にも感謝せずにはいられんぞ。」
その底抜けの明るさと前向きさで、毎日を真剣に楽しんで生きている会長の強さ。
いっぽう体は健康でいながらも、彼の不安や無念さを言い訳にして勝手に思い患い、自らと重ね合わせて落ち込んでいる自分の傲慢さ、弱さ。
命を脅かす病気と闘いながらも心は僕よりずっと健康な彼に敬服しながら、心の中で自分のだらしなさを何度詫びたことでしょう。
彼は言います。「悩んで一日無駄にするほどおまえは余裕があっていいなと。」





病気が進行してメールの返信が遅れ始めてからも、少なくとも僕の前では、会長はいつもの会長のままでした。
もちろん人に見せない彼の無念さや苦しみは想像を絶するものがあっただろうに、ついぞ一度もそういうそぶりを他人に見せず、最後まで強さと笑い声だけを人々の記憶に残して、会長は天に昇っていきました。
最期はお母さんに背中をさすられながら座ったまま亡くなったと聞きました。

一度二人で温泉に行った時、死について語ったことがありました。
「自分の今の夢は、あったかい布団の中でぐっすり眠ってそのまま逝くことかなぁ〜」とまるで憧れでも抱くような口調で言っていました。
冗談とも本気とも取れるその言葉に彼の真実を見た気がして、その時は何も言えませんでした。
布団ではないけれどお母さんにさすられながら眠ったなんて、本当によかった。
そう思いました。

そしてまた、こうも思いました。
生きてるのにこの先もう会うことのない知り合いと、肉体的には死んでしまったけどこうして心で結びついている人と、どちらが「生きている」ということなんだろうかと。




会長の体は消えてしまいましたが彼の言葉や表情や笑い声は僕の心にどんと居座り、しょっちゅう肩を叩いては「学、馬鹿かお前は!」と笑い飛ばすので、僕は不思議と悲しくないのです。
[PR]
# by mag-ikeda | 2016-01-14 17:36 | Comments(3)

58便 「細部と全体」

「細密描写」「超絶技巧」

僕の作品が紹介される場合、ほとんどが細密画特集においてなのですが、それにいつもちょっと疑問を感じてしまいます。
疑問というか、何かちょっと違和感があるというか….
もちろん細密画であるのは間違いないのでそのカテゴリーに入るのは当然と言えば当然なのですが。


僕の中で「細密に表現する」という行為は細かく物を描写することも好きですが、それによって「大きな立体感を生み出す」ために必要不可欠なプロセスだからです。
目の前の大きな山だって、一つ一つの樹や岩の集合体です。
それら樹や岩にも明暗があり空間がある。
それら小さな部分たちが持つ空間が繋がっていって、やがてひとつの山という大きな空間が生まれる。
僕は、そうした空間を作るために部分を細かく描いているのです。
いわばペンで細密に描いていくということは、空間を大きく描いていくことと同じだと思います。

最も大事なのは空間も含めた大きな見え方。全体感。
部屋に入ってまず全体を見て、そこで興味が湧かなければ誰も近寄っては来ないでしょう。
僕の中では細部というのはあくまで付属品であって、一番大切にしているのが全体感なのです。
そういう観点の違いが、前述の違和感につながっているのかもしれません。




日本を出てから、これまで以上に空間を表現する事への欲求が強まってきました。
それはやはり、置かれている環境の変化に他なりません。
北米の大自然を前に、恐ろしいほどの広さに言葉を失う経験が何度もありました。
見晴るかす先まで延々と続く森。山。空。道。
日本で広大だなと感じていたスケールの何倍という物凄い広さに最初の頃は恐怖を感じたほど、そこにあるのは圧倒的な空間でした。
自分が自然物を観察する上でこれまで魅了されていた、「細部のディテールに宿る様々な表情の面白さ」に加え、「それらを内包しながらも圧倒的な空気感を持つひとつの存在」の持つ荘厳さに、ここで気付かされました。


この両方の視点を作品に取り入れたい!
というのが今回のテーマの一つでもありました。

これまでは6畳ほどのアパートの一室で大きな絵を描いてたので離れて全体を見るスペースなどなく、
全体像を常に把握できないぶん細部の描写に頼るところが大きかったのですが、今では十分すぎるほどに広いスペースが与えられている。
絵を壁にかければ全体を眺め、細部と全体を行き来しながら両方の視点で仕事をする事ができる。
これはここだからこそできる事です。




しかしいざ、この両者を同時に描こうとすると、ペン画という性質上、どうしても細部が優先になってしまう。
頭の中に大きな空気の流れのイメージがあったとしても、やはり視覚に直接訴えかけてくる細部のビジュアルにどうしても引っ張られてしまいます。
空気というのは目に見えない分、とてもやっかいです。

このままではいつもと同じになってしまう….
これまでと同じように細部をひたすら積み上げるだけではこれ以上の空気感は出せないなと、直感的に感じています。
しかし下手をすれば今まで積み上げてきたものが台無しになってしまう恐れだってある。
2年間描いてきた分、なかなかその執着を振りほどくのは容易ではありません。



正直、これまで通りやれば、よほどの事がない限り3m x 4m の大作は完成し、それなりに満足はできるものに仕上がる。
よくここまで描いたねとも言われるでしょう。
自分が言わなければ誰も気づかないし、やっぱりこれで良かったのかもな。と思える気がします。

しかし。
それはただ同じ事をより大きな画面でやっただけ。結局は自分が登れそうな山を登っただけ。



心のどこかで言い訳をしたくないのです。



新しい試みをしなければそこで進化は止まってしまう。
挑戦する不安さがあるからこそ、震えるような感動があるのです。


この数週間。
今回の制作の、今が間違いなく一つの山場です。

b0290617_204631.jpg

[PR]
# by mag-ikeda | 2015-09-11 20:46 | Comments(3)

第57便 「2年」

8月で制作開始から2年が経ちました。
最初は不安だらけだった美術館での滞在制作も、少しずつ小さな壁を乗り越えながら、今ではすっかり自分の場所らしくなってきました。
朝9時から夕方5時までという決められたスケジュールの中で仕事することも一般公開で制作中に他人の目に晒されることも、自分の性に合っていることがわかりました。
もともとが孤独でコツコツ積み上げていく地道な仕事、それゆえよほど静かで集中した環境が必要だと思われがちですが、むしろあまりに静かで孤独だと息が詰まってしまいます。
公共の場で他人の目の前で仕事をするということは、そうした静けさから解放されるばかりでなく、孤独な世界から絵を通して社会と関わっているという実感を僕にもたせてくれ、やりがいと刺激を与えてくれます。


最近ではリピーターもかなり多く、「最初の頃に来たけどすごい進んだわね!」と言われることが増えてきました。
また、新聞や口づてで僕のことを知った人の割合も高く、徐々にこの絵の存在がちまたに根を張り始めているのを実感します。


今回の絵は東日本大震災から想起されたもので、津波や地震で破壊された残骸なども出てきますが、もともと自然災害といえば稀に起きるトルネードくらいで、地震などまったくないアメリカ中西部の人々にとってこの絵がどの程度リアリティを
もって伝わってるか….
おそらく大きく違うでしょうが、それはそれとして皆一様に真剣な面持ちで画面を見つめているのを見ると、それぞれが何かしら感じてくれているんだなと嬉しくなります。



残りの時間はあと1年。わずか1年!
現時点で完成してるのは約50%ほど。これから上半分に取り掛かりますがさてさて何を描こうか。
いつも描きながら全体図を考えてるんですが、2年たっても未だに決めきれずにいる始末。
もうそろそろしっかり構図を決めないといけません。
それさえ決まってしまえばあとはひたすら突っ走るだけ!なんですがこれがまた…. なかなか決められない。

アイデアが浮かんでは消え、浮かんでは消え、
全体像はいまだ薄い霧の中です。

b0290617_21555195.jpg

b0290617_2156121.jpg

[PR]
# by mag-ikeda | 2015-08-25 21:56 | Comments(0)