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池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

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【第102回】「銃声」

9月から始まる子供達の学校は11月まで閉鎖され、自宅からコンピューターを使っての授業がまだしばらく継続されることに決まりました。

計算すると今年の冬休みから約1年近く、学校に行っていないことになります。


このコロナによるパンデミックが一向に終息する兆しを見せないなか、警察官による黒人男性殺害事件を受けて抗議やデモ、暴動が全米に広がり、賑やかだったマディソンの中心部の一部も放火や略奪などで見るも無残な姿に変わってしまいました。

不安定な社会情勢や人種問題などによるストレスは暴力という形に取って代わり、毎日のように市内のどこかで発砲事件が起きています。

平和で美しいマディソンに住んで7年間、これまで一度も銃声を聞いた事がなかった我々が生まれて初めて耳にした4発の破裂音。

花火とも爆発音とも違う、なんとも形容しがたいその音は夜9時頃、暗闇の向こうから突然耳を襲いました。

直感で銃声だ!と察知した僕は慌ててカーテンを閉め戸締りをし、電気を消して二階へ。

子供達は寝ていましたが間もなく無数のサイレンの音が響き渡り、辺りは騒然となります。

初めて感じる戦慄の中で自分達が今アメリカに住んでいるのだということを実感した瞬間でした。

その後も同様の事件は相次ぎ、先日は運転中の車の中から受けた狙撃により11歳の女の子が死亡するという痛ましい事件もありました。

またこの原稿を書いている現在も、数日前に州内で起きた警官による黒人男性への発砲事件を受けての非常事態宣言が発令されており、夜は外に出ることができません。


国の指導者の対応や発言によって、この緑豊かで穏やかなマディソンでの生活がこうも簡単に変貌してしまうのを見るにつけ、脆さと凶暴性を兼ね備えた人間が平和な社会の均衡を維持していくことがいかに難しく、また儚いものかということを感じずにはいられません。


今日も1匹、綺麗な蝶が蛹からかえりました。

新しい世界に羽ばたいていく生まれたばかりの翅に、子供達の未来をついつい重ね合わせてしまいます。

(佐賀新聞 2020年9月掲載)

【第102回】「銃声」_b0290617_18215861.jpg

次回は9月11日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-09-04 15:17

【第101回】「イモムシの不思議」

去年から始めた畑は2年目になり、たくさんの野菜が収穫できるようになってきました。

今年はコロナの影響もあって、家にいて畑に向かう時間がたっぷりありました。

と同時に野菜の育て方にも興味が湧いてきて、いろいろ調べながら素人なりに愛情と情熱を注ぐこともできました。その結果が形となって実を結び始めたのです。

日本と違ってただでさえ新鮮な野菜を手に入れるのが難しい上に、この不便な状況下では買い物に行くことすら簡単なことではありません。

それだけに、収穫できた時の嬉しさは言葉にならないものがあります。


さて子供達も大人と一緒に水をあげたり雑草を抜いたりしているのですが、野菜そのものよりも土から出てくるミミズやセミの幼虫、てんとう虫や蝶の方に興味があるようで、特に蝶の幼虫に夢中になっていて、アゲハ蝶が定期的にハーブに卵を産みに飛んでくるとそれを目ざとく見つけては卵を回収し、部屋で羽化させるというプロセスがここ何週間も繰り返されており。

そのおかげで現在家にはイモムシが20匹以上!小さいのからサナギまで、ここら辺のイモムシの世話を一手に引き受けているのではと思うほどです。


それにしても驚かされるのがそのイモムシの成長過程。

皆さんはイモムシのサナギの中でいったい何が起こっているか知っていますか?

僕は最初にわかに信じられなかったのですが、なんとサナギの中でイモムシは一部の重要な核を残して完全に溶けてジュースになり、そこで1から蝶に作り変えられるんです!!

確かにイモムシと蝶では似ても似つかぬ姿、地面を這っていたものが空を飛び、食べるものも葉から花の蜜、とまるで違います。

大きな羽を作り、美しい文様もつけてその上消化器官から作り変えるとなると確かに最初からやり直したほうが早いのは分かる…が!本当に1から作り変えるとは…

もう不思議を通り越して尊敬の念すら覚えるほどです。

聞けばコロナウイルスも宿主である人間を殺さないために自ら弱毒化して共存できるよう変化し始めているとか。人間を殺してしまうと自分も一緒に死んでしまいますから生き物としては当然の過程なのかもしれません。

一方で我々人間もウイルスへの抗体を作ってそれに対抗するわけで、そう考えると野菜も虫もウィルスも人間も、いろいろな環境の変化に適合するために細胞レベルで変化し続けているのであって、ウイルスに「勝つ」という言葉自体ちょっとおかしいのですよと言われ、なるほどと納得させられました。


とにかく僕も一度サナギになって肩こりのない自分に作り変えれたらなぁ~

と強く思います。


(佐賀新聞2020年8月掲載)


【第101回】「イモムシの不思議」_b0290617_22043894.jpg
次回は8月28日(土)9月4日(土)更新予定です。



# by mag-ikeda | 2021-08-21 22:06

【第100便】「自粛中のサプライズ」

家族が日本から帰ってきて一ヶ月がたち、表面上は普段の日常が戻ってきました。

離れていた3ヶ月の間に自宅の地下室や庭を改造して子供の遊び場に変えていたおかげで、今なお続く自宅滞在の中にあっても子供達は退屈することなく遊び、妻も緑に包まれた静かな環境で心の平穏を取り戻しているように感じます。


子供達の学校は3月以降休校になり、そのまま再開されることなく、6月をもって長い夏休みに入ってしまいました。

普段なら学校でちょっとした終業式のイベントがあるのが今年はコロナで一切なし、特に今年は長女が小学校を卒業なのでちょっと寂しいな…と思っていたところに届いた学校からの一通のメール。

「カーパレードをやるので住所をお知らせください」との事。どうやら先生が生徒一人一人の自宅の前を車で通り、卒業記念のお祝いをしてくれるみたいです。

おそらく先生が玄関先で車の中から何か記念品を渡してくれるのでしょう。何もないよりはありがたいなと思い住所を知らせて、さてその当日。

前日にはご丁寧にパレードの道順、家の前を通る時間などが記された地図が届き、ちょっと大げさだな~と思いつつも一応外に出て先生の車を待ちます。

近所の子達も皆それぞれの家の前に出て待つこと20分。

と、けたたましいクラクションが響き始め、明らかに騒々しい軍団がこちらに近づいてくる!と思ったらなんとそれが先生達のクルマの大行列!

思い思いに華々しくデコレーションされたクルマがクラクションを鳴らし、中から先生達が手を振りながら生徒の名前を呼んだり、「卒業おめでとう!」「楽しい夏休みを!」などと叫びながら40台ほどのパレードの一団となって通っていく様はまるでカーニバルのようです!

てっきり担任の先生がコロナで自粛中だからとひっそり来てくれると想像していた我々は思わぬサプライズにビックリ仰天、そして大喜び。

もちろんソーシャルディスタンスは厳しく守られているので先生達はそれぞれ自分の車に一人で乗り、子供達から先生にクルマ越しに何かを手渡したりなどの接触も一切禁止で、ただ観客として先生達のカーパレードを見ているだけでしたが、こうした状況下でも必要以上に下を向かずに何か工夫して明るく楽しむという前向きな姿勢は、日本で育った我々にはちょっと思いつかない発想で、素晴らしいと思いました。


人種差別問題でデモや暴動が起きたり、コロナの患者数がいまだに増え続けているなど深刻な問題ばかりが報道されますが、こうして状況をポジティブに打開して楽しんでいこうという考え方もまたアメリカの側面で、それによって救われている部分も僕ら住民にとっては少なくありません。


(佐賀新聞2020年7月掲載)

【第100便】「自粛中のサプライズ」_b0290617_12123147.jpeg


次回は8月21日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-08-14 12:21

【第99便】「無駄な思考」

自宅滞在命令も2ヶ月を過ぎました。

マディソンは今が春まっさかり。咲き乱れる花々や新緑の美しさに心を奪われる毎日ですが、家の中にいる我々にとっては、この状態をいつまで続けなければいけないのか、考えるのはそのことばかり。

この陽気とともに人々も少しづつ状況に対応しながら動き始めているようですが、それでもまだまだ先の見えないことには変わりがありません。


さて自宅で毎日過ごしていると、普段では気づかない発見がいくつもあります。

これまでは朝エピックのスタジオに行きそこで日中は絵を描いて、帰る頃には夕方だったのでほとんど日中というものを見ることなく過ごしてきましたが、家にいると一日の中で刻々と変わる光の状況、天気、風向きの変化、それに伴う寒暖の差などによって、周りの環境が実に変化に富んでいる事が今更ながら新鮮なものとして目に映ります。

特に庭の草花や畑の世話をしていると、そうした自然環境に彼らの成長が左右されているのがよく分かりますし、それだけに発芽したり開花した時の美しさや感動もひとしおです。


そうした植物の美しさに感動し、それを絵に描いてみたいと純粋に思った次の瞬間、いつも頭をよぎる事があります。それは、「絵にするからには何かのメッセージや風刺、批評性をそこに入れなければならないのではないか

という強迫観念みたいなもので、いわば長年の思考回路の癖みたいなものです。

確かに今、世界中がコロナによって過酷な状況を強いられている中で、たくさんのアーティスト達がそれをテーマに作品を作り、発表しています。僕も現代美術の作家であるからには、そうした時代の一片を切り抜いたようなものを作らなくては、作家としての意味がないのではないかと思ってしまうわけです。

そうして花とコロナの組み合わせで思考を練り、いろいろといじくりまわし、結局いいアイデアが思いつかなくてため息そういう事が実によくあります。



でもそれって、なんか本筋から外れている。

だいたい絵を描くってそんな 作為的で薄っぺらい事なのか?

自分が本当に伝えたいメッセージがあるのならともかく、なんとなく便乗してそれっぽいものを描いたところでそれは借り物であってニセモノです。

そもそも誰かにそうしろと言われたわけでもないし、他人の作品を見て「この人は何々派だ」とか「現代美術だから」とか思ったこともありません。

でもなぜか自分の作品にはそういう敷居を作ってしまう全くイヤになります。


その花を見て感じた、「美しい」という気持ちだけが、僕がこのコロナ禍の中で思った、偽らざる真実なのだから単純にそれを描けばいいだけのこと。

心では分かっていても、自分自身を勝手な思い込みやルールで縛り、不自由にしてしまっている頭でっかちな自分。

こうした思考のループがほとほと嫌になったので、そのままを描いてみることにしました。

これはその途中。


(佐賀新聞2020年5月掲載)


【第99便】「無駄な思考」_b0290617_10494958.jpeg


次回は8月14日(土)更新予定です。



# by mag-ikeda | 2021-08-07 10:58

【第98便】「時間」

ウィスコンシン州の自宅滞在命令が出てから1ヶ月がたちました。

そして先日、更に1ヶ月の延長が決定され、5月末までこの生活が続くことになりました。


こういう日常の中、最近よく「生きる」というのは一体どういうことか、ぼんやりと考えます。

朝起きる。一階に降りてきてご飯を食べ、ジョギングに出かける。帰ってきて活動してお昼ご飯。食べ終わって数時間活動して晩ご飯。少し活動して二階に上がってお風呂に入って寝る。

毎日毎日、ひたすら同じことの繰り返し。

一階と二階を定期的に行ったり来たりしているだけの自分が、檻の外と中をウロウロしてる動物園の動物の姿とどうしても重なってしまいます。

数時間毎の食事も、生きるためにしてるのか、食べるために生きているのかが分からなくなり、人に会わないので同じ服を着続け、曜日の感覚も薄れていくうちに、「一日」という概念自体も無くなってきました。

アメリカと日本は昼夜が逆で、日本に残っている家族から「おはよう」と「おやすみ」のメッセージが僕が活動している日中に来るので、僕の視点から見ると家族は数時間長めの仮眠をとっているだけのようにも思えます。

そうなると「夜が明けて新しい1日が始まる」とう概念自体も一方的な見方だなぁと怪しくなってきます。

外から見れば太陽はただずっと東から西を繰り返し周ってるだけで、同じように生き物は、時間がきたらお腹が空き、時間がきたら眠くなり、数時間ほど休んだらまた動き出し、それを数千時間、数万時間と繰り返してやがてその機能を終える。

そこに「人生」とか「一生」とかいう名前をつけて特別な意味合いを持たせてあるけど、要はそれだけのことなんだなぁ…

と、一つの場所で、誰とも喋らない生活をしているとそんなことが、クルクルと頭をよぎります。

厳密にいうと世の中の全てのものは時間が来ればいつか全て消えてしまうわけで、そう考えると自分が何を作ろうが残そうが、どう生きようが、それ自体に全く意味はないのでしょう。


でもそんな事とは関係なく、花の背景の黒。

これをどうやったら絵の具とペンを使ってイメージ通りに表現できるのか、今の自分にとってはこれが一番重要な問題です。

とにかく今は、美しい黒を描きたいのです。

ああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねた結果、わりといいものが出来ました。

だから今日は大満足です!


(佐賀新聞2020年5月掲載)


【第98便】「時間」_b0290617_16034279.jpeg


次回は8月7日(土)更新予定です。



# by mag-ikeda | 2021-07-31 13:07