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池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

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池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

バンクーバー日記


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第77便「誕生」

作品タイトルは「誕生」。

完成の3日前、スタジオから帰る途中フッと浮かんだこの単語がそのまま作品名になりました。

バンクーバーで東日本大震災を知ったあの日以来、アーティストとして自分が何をすべきなのかを考え続け、一時は絵を描くことにすら疑問を抱く時期もありました。
破壊や混沌などをテーマにしたこれまでの自分の作品がひどく不謹慎に映り、そういうものではない、ただ目の前の自然そのものを描いてみたりもしました。

日本から遠く離れた海外の自然はスケール、造形、色彩...全てが新鮮に映り、創作意欲を掻き立てられます。
しかし頭から被災地の光景、もっと言えば傷ついた日本の姿が離れることはなく、目の前の景色が雄大で美しければ美しいほど、海の向こうの祖国の現状がまぶたの裏にちらつきました。
カナディアンロッキーの透き通った氷河の水が湖に染み渡っていく光景はそのまま福島原発の汚染水が海に広がっていく様子を連想させ、
バンクーバーの穏やかな海がいつか牙を剥き、津波となって街を飲み込む姿が予知夢のように頭を巡り、森を歩いても豊かな緑の木立ちより地面で朽ちていく木の根や倒木にばかり目がいったのは、当時のそうした憂慮の表れかもしれません。

一瞬にしてこれまで私達が築き上げてきた財産や思い出、大切な人を奪い取ってしまう災害。
街並みや景色は破壊され、復興には長い年月を要し、人々の心にいつまでも傷跡として残り続けていく悲劇。
それをいかにして絵にするか、そればかりを考えていました。
震災の様子をそのまま克明に描いていったところで、それは悲劇の再現のようなものであり、そんなものを見て誰が喜ぶのか。そういうものを自分は描きたいわけではない。
しかしいわゆる復興の絵、みんなで頑張ろうという絵もどこか違う気がする。

そうしたことが頭の中を巡りながらも新天地での日々は過ぎていきます。
異文化での新生活から様々な刺激を受け、物の見方や考え方も少しづつ変化していきました。
やがて日本の震災だけではなく、世界中の至る所で起こりうるあらゆる自然災害をテーマにしようと思い始めたのには、そうした海外での生活体験が影響していたのは間違いありません。




そして2013年。
いよいよこの構想に着手できる環境が整い、頭の中で散らかっている漠然としたアイデアの断片を整理していくように、まずは瓦礫の山から描き始め、次第に絵は広がっていきました。

震災だけの絵ではない。
そうわかってはいても、頭の中では何度も被災者の方達の心情が頭をかすめます。
完成したこの絵がいつか展示の機会を得た時に、絵を前にして被災者の方達はどういう思いをするだろうか。 
描かれた瓦礫を見て再び傷ついたり感情を逆撫でされたりはしないだろうか。そもそもこの事に簡単に触れてもいいのだろうか。
そういうことを考え出すと何も描けなくなり、最初の数ヶ月はそれにとらわれ過ぎて手が止まることもしょっちゅうでした。

しかしスタジオに見学に来る人たちはそんな僕の思いとは裏腹に、作品の出来ていく過程を興味深そうに見ながら純粋に絵の世界を楽しんでくれている。
この瓦礫はハリケーンによるもの?それともトルネードかしら?
そんな彼らの反応を目にするうちに、世界の広さと多様性、一つの事象がすべての人々の直面する問題とは限らないということ、それぞれの立場によって物の捉え方は違うということに再び気がつきました。
そして災害がテーマだからと必要以上に深刻な内容を描こうとしている自分にも。

そもそも自分が直接体験していない事象の表面的な情報だけを集めて当事者のように語っても、それは誰かから聞きかじった話をなぞってるだけで説得力がない。
だからといって世界中で起こりうる自然災害をテーマとは言っても言葉で言うほど簡単ではなく、自分には広過ぎてつかみどころがない。
そんな壮大すぎるテーマに惑わされて動けなくなるくらいなら、もっと等身大の、自分の今生きているこの場所から、自分が見て感じた視点で描く方がいい。
いや、むしろそれしか描けないだろう。
その中にこそ自分の本当の絵がある。
肩の力が入り過ぎて硬くなっていた自分から、少しづつ本来の絵のスタイルを取り戻していったのを覚えています。




制作中に新しい命が二つ、誕生しました。
最初小さくてか弱かった体が少しづつ成長し、たくましく変化していく様子に感動する毎日。
そんな日常の断片も絵の要素として作品に取り込まれ、絵そのものも娘たちと同じように少しづつ広がっていきました。
破壊された世界に生き残った一本の巨木それ自体が生命の象徴で、傾きながらも懸命に、少しづつ上に向かって伸び続けようとしている。
傍で育ち続けるそんな命の存在が、この3年間を支える原動力になったのはもちろん、作品自体の持つメッセージを前向きなものにしていったことは言うまでもありません。

一方で大切な人の死もありました。
高校時代の友人であった彼の病気を知ったのが震災のあった年。それから5年間、闘病を続けた彼は作品の完成を待たずして旅立ちました。
しかし彼の言動や姿勢は、「死」というものが、生きる舞台をこの世からあの世に移しただけとでもいうか、死ぬことすら生きることの延長であるかのような印象を僕に与えました。
そして「死」の先にあるひとすじの希望のようなものも。
災害で亡くなったたくさんの命もそうして舞台を変え、お互いに見えないけれども二つの世界を行ったり来たりしているのかもしれません。
生まれてくる命と消えていく命。
こちらから見れば対照的なこれらも、実は同じもので、くるくると回っていたらいいなぁ。

右手の怪我も大きな出来事でした。
これまで当たり前にあって、動いて当然だと思っていたものがある瞬間を境に全く動かない、ただぶら下がっている肉の塊のようになってしまう。
動かなくなったことで初めて、これまで当たり前にあったものの有り難さと儚さに気がつく。
災害も同じようにある日突然やってきて、たくさんの日常を奪い去り、我々に大きな試練を与える。
失ったものを嘆いてばかりはいられず、生きるために立ち上がらざるを得ない。
そこを新たな出発点として。
この怪我はまさに自分にとっては予期せぬ悲劇そのものでしたが、激しい後悔のその先に見えたものは皮肉なことにそうした「気付き」でした。
そしてこの事がきっかけでようやくこの絵の方向性ははっきりと、揺らがないものになりました。




震災から5年。

当時は悲劇としか考えられず、絶望感と不安の底から生み出したこの作品に、「誕生」というタイトルをつけるとは思いもよらなかった。
自分の母国に起こった未曾有の大災害をいかに表現するかという大命題から始まったこの作品は、3年3ヶ月という時間の中での新しい経験や出会い、それに伴う自身の環境や気持ちの変化、成長や失敗など...全ての事を栄養にして少しずつその全貌を現し、前向きな意志を持った作品として完成しました。
世界中で起こりうる自然災害をテーマにどこまで問題提起できたかに関してはいろいろと疑問が残りますが、最終的にはこれで良かったのだと思っています。
これまでたった一人で描き続けていたこれまでの作品達とは違い、これは美術館での公開制作という経験の中で沢山の人達と共に作り上げたものであり、自分一人の考えでは到底生み出せなかった全く新しい作品です。
災害から始まる新しい時代。
日本を離れアメリカの地で、大勢の人に囲まれながら、新しい経験の中で産まれた作品。

「誕生」にはそんな思いも込められています。

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# by mag-ikeda | 2019-05-23 14:53

第76便「完成」

11月17日、ついに山頂に立ちました。

やっと、やっと、やっと…….完成しました。

本当に長く、苦しかった制作の日々が今、終わりました。
というより、終わってしまいました。

最後の数ヶ月は早く終わらせて楽になりたいという焦りと、もう終わってしまうのかという寂しさと、完成に向けて高まる高揚感と、最後の最後まで気を抜くなという緊張感がかわるがわる心を支配し、いろいろな感情に支配されながら手を動かし続けました。

3ヶ月をきった頃から、長年蓄積された疲労に加え、これまでに経験したことのないプレッシャーも重なり、背中や首が重くて長時間描いていられなくなりました。

これまでは多少疲れても翌日には元気になっていたものが、怪我の影響や年齢による体の変化もおそらく手伝って、自分の体がこれまでのものとは変わりつつあることを痛感。
数時間ごとに休んで横になりながら、芸大の卒業制作で初めて「巌ノ王」という大きなペン画を描いた時にある教授から、「これは若い時にしか描けない絵だね」と言われた言葉がここにきて初めて重みを持って迫ってきたのを感じていました。

制作と同時進行で日本では年明けからの大規模な美術館での個展の準備が着々と進んでいく。
地元の新聞やテレビでもこの滞在制作が大詰めであることを紹介され、連日スタジオにはたくさんの見学者が訪れ、テレビカメラは常にペン先の動きを追い続ける。
これほど恵まれた待遇とここまで注目してもらえることへのありがたさを実感しつつも、こんなに重圧を感じながら制作したことはこれまでにありません。
とにかく辛かった。
絵を描くという行為が。
体力的にも精神的にも、本当に辛かった。


描き始めてすぐに産まれた次女。
初めての外国で、初めて帝王切開で、言葉もままならない中での大変な出産。
その冬は歴史的な寒冬で、産まれて間もない小さな命を守るのに冷気との奮闘の毎日でした。
家族や親戚が来れず、頼る人のいない僕達のためにここに住む日本人の皆さんが日替わりで夕ご飯を届けてくれました。
また同じアパートの住人さんが赤ちゃんの泣き声を聞いたからと温かいスープを差し入れてくれたのも忘れられません。

三女の出産の時は僕の制作の邪魔になるからと家族は全員日本に一時帰国、一年間離れて過ごしました。
出産は僕の代わりに9歳の長女が立ち会い、その後一週間だけ顔を見るために僕は帰国。
アメリカに帰る日はちょうど長女の小学校の授業参観で、成田空港に向かう前に少しだけ顔を出した僕を見つけた時の彼女の驚き、そしてパッと輝いた顔。
わずかな時間の後、気づかれぬようそっと教室を出て空港に向かうバスの中で、代わりに入ったおばあちゃんから僕がいなくなったことを知った彼女がしばらく机に顔を突っ伏して泣いてたというメールが届き、申し訳なさで僕も泣きました。
小さな子供達にとって親と一年離れて暮らすということはとてつもなく寂しいことに違いなく、仕事とはいえ絵を描くためだけに帰る自分がとても自分勝手に思えたりもしました。

そして右手の怪我。
あの痛さ、絶望、後悔、寂しさ。
あの日以来いろいろなことが変わってしまいました。
手の機能はおそらく完全には戻ることはなく、この体に順応して生きていくしかありません。

カレンの家で助けてもらった3ヶ月間。
後悔とショックのどん底にいた自分をひたすらその愛情で慰め続けてくれたこと。
またその時、マディソンでマッサージ店を経営する友達がほとんど毎日、仕事の合間をぬってスタジオに右手のマッサージに来てくれたこと。
右手の主治医の先生やリハビリのトレーナーの人がスタジオに作品を見に来て治療方針を考えてくれたこと。
この時も日本人の友達や美術館のドーセンの方達が家へ招待してくれたり、病院について来てくれたり、本当に助けてもらいました。

背中が辛くて仕事を続けられない様子を見かねて、見学者のおばあさんがリラクゼーションマッサージを施してくれたこともありました。
おばあさんが背術中優しく何度も、「あなたは大丈夫」「背中に翼が生えて飛んでいるのを想像しなさい」「森の中で深呼吸しているイメージよ」などと声をかけてくれますが、英語であるがために集中して聞かなければならず、逆に疲れてしまったことは内緒です。

遠いところから何度も足を運んでくれるリピーターの人達。
少しでも作品のアイデアの助けになればと新聞や雑誌の切り抜きを持ってきてくれる人がいたり、
地元の美味しいお店のチョコレートや、詩集を持ってきてくれる人、手紙をくれる人。自分のアート作品をくれる人。
涙を流す人。
キラキラした目で見ている子供達。
毎日1時間、ずっと絵の前に座っている人。

そういう人達の真心や親切に助けられ、支えてもらい、励ましてもらったおかげでこの日があります。
この絵はそういう思いと時間の結晶なのです。


3年前、初めて降り立ったシカゴの空港からマディソンに向かったのは夏の嵐、ひどい雷雨の夜でした。
車内で一人稲妻を眺めながら、これからの3年間が象徴されているような気がしたのを覚えています。
知り合いもおらず、経験もなく、不安と緊張の中、すべてが手探りで始まったこの制作。
初日の見学者はゼロでした。
たった一人の広いスタジオはうすら寒く、全てのものが冷え冷えとして見えました。

その日から1日、1日と積み上げて、絵は成長していきました。
絵の成長と同時にいろいろなことにも慣れ、人との繋がりが生まれ、家族も増え、スタジオも賑わい、いつしかここが僕の中心になっていきました。




最後の三日間、家族は追い詰められた顔をして帰ってくる僕のために、家での時間はできるだけ声をかけないようにそっとしておいてくれました。
暖炉の前に座って燃える炎をただずっと見つめるだけ。心を休める手段はそれしかなかった。そのくらい、よくわからない精神状態でした。
小さい3人の娘たちも自分達なりにパパを元気づけようといろいろ世話を焼いてくれたけれど、最後はいつもママの言うことを聞いて僕を一人にしてくれました。


自分の都合だけでこんなアメリカ中西部の極寒の土地に連れてきて不自由な思いをさせている。
僕は外国で好きな絵を描きながら毎日充実した時間を過ごしているから楽しいけれど、妻には随分我慢をさせているんじゃないかといつも思います。
子供好きで料理好きな妻はそんな中でも楽しみを見つける努力を惜しまず、子供達を育て、慣れない食材に苦戦しながらも毎日美味しい料理を作ってくれている。
食事、育児、ここでの生活に関わるその他諸々のことも、僕が絵だけに集中できるようにいろいろと動いてくれているのは妻で、彼女の支えなしではこの絵の完成どころか、アメリカ生活も絶対にできませんでした。
僕は彼女に守られて描かせてもらっただけ。間違っても偉そうに踏ん反り返ったりしてはいけません。


最終日のお昼、いよいよ仕上がりそうだという頃、妻が差し入れを持ってスタジオに来てくれました。
スタジオでNHKのスタッフさんと温かいお蕎麦を食べ、ちょっと一息ついてから最後の部分に向かいました。

残りの3時間はもう、ただ作品との別れを惜しむような時間でした。
少し描いては壁にかけ、また描いては壁にかけて遠くから眺め…の繰り返し。
その時何を考えていたかは今となっては思い出せませんが、残された時間で少しでも手を加えてあげたい。
これまで3年と3ヶ月、ずっと二人で対話をしてきた作品が手元を離れるその瞬間まで声をかけ続けたい。
あるいは、これまで繋がり続けてきた作品と自分との関係からどうやって離れていいのか分からなかったのかもしれません。
まるで巣立っていく子供を玄関先で見送るような….。
そんな気持ち。


けれどもう、描くところがない。

もう離れる時だ。

何度か離れて眺めたあと、自分の中でケリをつけて、
「終わり。」と言いました。


その瞬間、今まで抑えていたいろんな感情の蓋が外れて弾けたからか、全く自分の意表を突いて、涙が溢れ出しました。
こらえる間もありませんでした。
これまで一度も絵を完成して泣いたことなんてないのに、泣いてしまった。
ましてやテレビカメラの前で。
番組の最後に完成して泣くなんて、そんな演出めいたことはダサいっていうか、絶対にしない。と思っていたのに…
泣いてしまった。

これには自分が一番驚いてしまった。


でも泣けるほど一つのことに打ち込んだということは、それが濃密で充実した時間だったからに他ならず、それは人生において幸せ以外の何者でもない。
まして作家としてそういう絵を創りだせたことは何にも代え難い喜びであり、誇りでもある。
確かにこんなにも全身全霊を傾け、一枚の絵と格闘した年月はこれまでになかった。
もうこれ以上ないという、自分の今持てる体力と時間と能力を全て注ぎ込んだので、もう思い残すことはありません。

ふと振り返ると、1年半の間、タイムラプス撮影でずっと作品の進行状況を記録し続けてくれたクライトンも泣いていました。
これはその時の写真。

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# by mag-ikeda | 2019-05-11 17:34

第75便「前日」

完成前日、午後4時40分。
スタジオを出る前に、もう一度画面と向かい合う。

高揚感も達成感も、今は焦りもない。
何もない、どこか他人事のような気持ちで目の前の作品を見ていたように思います。

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# by mag-ikeda | 2019-05-10 19:52

第74便「最後の数日間」

これは完成の数日前。
この頃には地元の情報誌や新聞、テレビなどでもこのプロジェクトの模様が取り上げられ、連日大勢の見学者でスタジオも賑わっていた。
完成に向けて嫌が応にも高まってくる周囲の期待と熱気。
それとは裏腹に一人追い詰められていく自分。

最後の最後まで気を抜くなという緊張と、焦り。訳のわからない寂しさ、不安。
もう頂上は目の前に見えているのに、果てしなく遠く感じる道のり。
絵を描いていてこんなにも感情が不安定になったことはこれまでに一度もない。
体もそれに反応して、今までに経験したことのない不調を起こし始める。
これまでの作家人生の中でこの数日間は最も苦しかった。


2年以上経った今でもこの頃の事を思い出すと身体がこわばり息苦しくなる。

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# by mag-ikeda | 2019-04-06 19:10

第73便 「9合目」

制作の中でも最もきついパートがこれ。
パネルの端同士の絵を繋げる部分ですが、こればかりはパネル同士をくっつけて描かなくてはならず、外側からは手が届かないので上から乗って描きます。

3年描いてきた画面の上に乗るという精神的恐怖。
ここでインクをこぼしたら…
うっかり服で汚しちゃったら…
まさしく一巻の終わり。

そして腰や首へかかる肉体的負担。
特に首にはかなりの負荷がかかり、同じ姿勢を10分と続けられません。
体が悲鳴をあげてるのが聞こえるぜ〜!
まさに頂上直下の最後の核心部分。
焦る気持ちを抑えて、こんな時こそ慎重に慎重に。


この作品を描き始めた頃に生まれた次女ももう3歳。
同い年の兄弟(?)の成長を傍らで静かに見守ります。

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# by mag-ikeda | 2019-03-29 14:13