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池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

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池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

バンクーバー日記


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第81便「英語でレクチャー」
at 2019-08-03 12:47
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第79便「故郷へ 」
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第78便「お披露目」
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第77便「誕生」
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第81便「英語でレクチャー」

佐賀から帰ってきて間もなく。
娘の通う小学校で「いろんな職業について知ろう」という授業がありました。
娘からお願いされ、教室で自分の仕事について紹介をすることに。

話す内容をある程度準備していったものの、もちろん全て英語です。スラスラと上手くいくはずがなくあっちにぶつかりこっちにぶつかり、何ともみっともないものになってしまいました。
いや〜。。。佐賀や東京で行なったどんな講演よりも緊張しました..!

子供は時に残酷です。
僕の変な英語には容赦なく『はぁ??』といった反応が返ってきます。
つまんなくなってきて遊び始める子供。
僕の方をチラチラ見ながら「あの人何言ってんの?」みたいな話をする女の子たち。
質問も僕にとっては難しくて、答えにキョトンとされると僕の方がアワアワしてしまいます。

たった15分ほどのレクチャーでしたが物凄く消耗して、落ち込みました。
佐賀の展覧会でついた自信が粉々に打ち砕かれました….
長女よ、ごめん...

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# by mag-ikeda | 2019-08-03 12:47

第80便「池田学展 佐賀」

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佐賀県立美術館での個展「The Pen 池田学展 凝縮の宇宙」。
オープニングセレモニーには県知事さんをはじめ、地元のテレビ局、新聞社、取材メディアの方々や、この展覧会を楽しみにしていた沢山の人達、そしてマディソンからはチェイゼン美術館のラッセル館長も来日され、約3ヶ月に渡る初の大規模個展が
いよいよ幕を開けました。
テレビではCMで、新聞では大きな紙面を割いて連日この展覧会の紹介がなされ、県をあげて盛り上げてくれています。
またNHKやサガテレビでのドキュメンタリー番組の放送もあって、初日から大勢の人が詰めかけ、展示室は身動きが出来ない程の大混雑。
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なんという光景でしょう。
高校生の時によく訪れていたこの美術館で個展を開くことができるとは当時は夢にも思っていなかった。
しかもその広い会場を全部自分の作品で埋め尽くし、そこが満員になるほどの人がこうして見に来てくれるとは…


数十年ぶりの懐かしい人々との再会。
両親や恩師の先生方の笑顔。
地元ならではの手厚く心温まる祝福を受け、18歳で故郷を離れて以来隔てられていた時間と距離が優しく埋められていくのを肌で感じます。
高校の恩師の先生方がこの展覧会の紹介のため佐賀県中の小、中、高校を回って是非見に来るようにと呼びかけてくれた事を聞きました。
また初めて佐賀新聞とサガテレビが手を組んで、この展覧会を主催してくれた事も知りました。
僕がアメリカで作品を描いていた同時期に、県ではこれだけたくさんの方達が動き回ってこの展覧会を成功に導くために走り回ってくれていたなんて、思いもしませんでした。
右手の大けがをして展覧会の会期に間に合わないかもしれないと話した時に、三潴さんから「どれだけ多くの人に迷惑をかけるか分かっているのか」と言われた意味が、恥ずかしながら今分かりました。


ギャラリートークやサイン会。
出身校での講演会や対談などのイベント。
雑誌の特集、テレビの生中継への出演。
毎回会場は満員、長蛇の列が続き、お年寄りや子供たちの姿もたくさん。
連日のように県内各地の学校がバスで美術館見学に訪れるのも先生方の紹介のおかげです。
美術館になんて一度も来たことがなかったのに来てみたらすごく楽しかったと言ってくれる人や、初めて画集を買ったという人。
もう3回目ですと言ってくれる人、涙ぐんで握手をしてくれる女の子。
美術大学を目指す若者たちの熱い眼差しにあの頃の自分を思い出したり、手紙やメッセージに心を動かされたり。
僕を目標にしていますと言ってくれた学生さんに逆にこっちが緊張したり、
絵が面白いって初めて思ったと言う男の人に勇気づけられたり。
遠く県外から飛行機に乗って見に来てくれた人。
虫眼鏡や望遠鏡を持参してじっくり観察されている方。
作品の前で独自の見解をお互いに述べながら楽しそうに鑑賞されているグループ。
右手のケガを是非一度診せに来てと言ってくれたお医者さん。
初めて会った親戚の人。
知らなかったけどどうやら友達らしい人。
来場者1万人目に選ばれた幸運な人。
せっかく並んでくれたのに人が多すぎて全然見れなかった人。
人、人、人。

マディソンの人。
佐賀の人。
いったいどれだけの人から賞賛を浴び、感謝をされ、祝福されただろうか。
僕はただ好きな絵を勝手に描いてきただけなのに、こんなに褒められていいんだろうか。
嬉しくて幸せで、身に余るほどに光栄な反面、
ミュージシャンやスポーツ選手のように、その人のパフォーマンスで賞賛されるならともかく、地下で絵を描いてきただけの僕がここまでの扱いを受けていいんだろうかという疑問も常にありました。



日本滞在中の1ヶ月、まさに「時の人」となった自分の周りは常に誰かの目があり、道ばたやお店でも声をかけられるほどです。
池田学フィーバーとも呼べる熱狂的な毎日は多忙を極め、息をつく暇がありません。

それはこの上なくありがたいことでもある反面、実は苦しいことでもありました。
日本を離れて以来、誰にも注目されず静かなスタジオで自己の内面と向かい合ってきた自分の身体はそれにすっかり順応しており、その急激な変化についていけないのです。
またこの3年間のプレッシャーと制作の日々から解放されたとはいえ、その事でかなり無理をしてきた身体はすっかり疲弊していて、いろいろな不調が現れてきていました。
完成後チェイゼンでのお披露目、それが終わると休む暇もなく日本に帰国して時差ボケのなか連日の展示作業、そのまま展覧会のオープニングからの怒涛のフィーバー….
浦島太郎にでもなったかのような急激な環境の変化で僕の自律神経は完全に狂ってしまったようです。
祝福されればされるほど、突然息苦しくなったり手のひらに汗をかいたり、寒気、めまい、動悸などなど、調子が悪くなってしまいます。
次のイベントまでこっそり控え室で横になりながら目を閉じて回復を待つ、そんな事も度々でした。
こんなにたくさんの人が詰めかけてきてくれているのに、顔色が悪かったら申し訳ない。思えば思うほど体中に力が入り、具合が悪くなってしまいます。
「作品に費やした年月と同じくらい休息を取らないと本当に病気になってしまうよ」とある先生に言われ、そこまで自分を追い込んでいたのかということに気が付きました。





そうして短かったようで長かった佐賀での滞在を終え、アメリカに帰国したのが2月の半ば。
久しぶりに会う家族に囲まれホッとしました。
しばらくはしっかり羽根を休めなければなりません。


「誕生」が佐賀県立美術館に購入され、来場者の数が9万5,740人を記録し美術館の新記録を達成したというニュースが入ってきたのはそれからしばらくしてからのことでした。
僕の絵を楽しみに美術館まで足を運んでいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
展覧会のこの奇跡的な大成功は、関係者の全ての皆様のご尽力やこうして会場まで足を運んでいただいた皆様のおかげに他なりません。
「誕生」が故郷佐賀の地で大切に保管され、ここを拠点としてさらに色々な場所に旅をしていくことを思うと、安堵と期待でいっぱいになります。

この作品は最高の場所にお嫁にいったのです。
生みの親としてこれほど嬉しいことはありません。
これからも末長く、よろしくお願いいたします。





# by mag-ikeda | 2019-07-20 17:34

第79便「故郷へ 」

2017年1月、いよいよ故郷佐賀での初の個展が始まりました。

展覧会準備のために帰国したのはオープニングのわずか数日前。
帰国する度に毎回思うことですが、日本の便利さ、美味しさ、居心地の良さよ…。
普段アメリカで気を張ってる身体中の力がどぉ〜…..っと抜けていきます。


会場に着くと展示作業の真っ最中。
これまでの約20年間で制作してきた作品達が展示室内にずらりと並べられています。
それらに加えて幼少期の絵や高校の恩師への年賀状なども集められ、総作品数は約200点。僕にとってはこれまでの画業を振り返る初の大規模個展です。
懐かしい作品達を眺めながら展示室を周り、最後に真っ白に塗られた大きな展示室へ。
そこにはマディソンでの展示を終え梱包されて一足先に日本へ到着していた「誕生」が、王家の棺のように厳かな雰囲気で置かれています。
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時差ボケで時々襲ってくる睡魔と戦いながら3日間の展示作業を通して驚いたことがありました。
その一つは作品の開封と展示を担う美術運送業さん達の仕事の素晴らしさ!
ここでいう素晴らしいとは、効率、スピード、無駄のなさ、丁寧さ、寡黙さ、意思疎通の容易さ…などなど、日本人の良さここにあり!といっても過言ではない程、日頃アメリカのリラックスした雰囲気に慣れてしまっている僕には
感動的に映りました。
そうだったそうだった。この仕事の出来る感じ、久しく味わってなかったな〜。
作業エリアの隅々にまで気が配られ、ゴミが出れば誰かがサッとそれを集め、一人の動きに全員が反応しながらそれぞれの役割をテキパキとこなし、静かに、真面目に、流れるように進んでいく作業。
日本に住んでいる頃はこれが当たり前だったから、この作業効率の良さがいかに素晴らしくて珍しい事かという点に全く気づいていなかったけれど、外を見た今なら胸を張って自慢できる。
これこそが我々日本人の世界に誇るべき仕事の姿勢。
全てのモノに通ずる美しさだと思います。

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# by mag-ikeda | 2019-06-29 15:56

第78便「お披露目」

完成の興奮冷めやらぬ翌日、「誕生」は地下のスタジオから地上階の展示室に運ばれていきました。
3年前、真っ白な状態で同じようにスタジオに運ばれてきた時のことを思い出します。

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そして設営。
天窓から自然光が差し込み、スペースも地下スタジオよりずっと広い空間で「誕生」を見るのはこれが初めて。
地下で見るものと印象がかなり違ったらどうしようと緊張したものの、設置してみると周囲の作品や空間にも負けず堂々として見える。
よかった。
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午後から始まった除幕式。
3年間の公開制作の集大成が観客の目の前で発表されるわけです。
壁に設置され上から垂れ幕をかけられて、お披露目の瞬間を待つ「誕生」。
会場には家族や友人、美術館関係者や3年間足を運んでくれたたくさんの人達が詰めかけてくれています。
大きな期待とちょっとした緊張感のなか館長さんの話が終わり、いよいよ幕が落ちる!
目の前に現れた「誕生」の姿に、一同どよめきと、それから拍手の嵐!
会場の興奮と歓喜に包まれてまるでスポーツ選手のような扱いに正直戸惑いながらも、この反応こそがアメリカの良さに違いなく、結果を出した時の惜しみない賛辞はそれをやり遂げた身には本当に嬉しいし、やってよかったと心底思える。
みんなの前で何を話したかはほとんど覚えていませんが、長い緊張と重圧から解き放たれ、安堵と開放感に満ちたこの頃が一番幸せな時間だったことは間違いありません。
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午後から始まった除幕式。
3年間の公開制作の集大成が観客の目の前で発表されるわけです。
壁に設置され上から垂れ幕をかけられて、お披露目の瞬間を待つ「誕生」。
会場には家族や友人、美術館関係者や3年間足を運んでくれたたくさんの人達が詰めかけてくれています。
大きな期待とちょっとした緊張感のなか館長さんの話が終わり、いよいよ幕が落ちる!
目の前に現れた「誕生」の姿に、一同どよめきと、それから拍手の嵐!
会場の興奮と歓喜に包まれてまるでスポーツ選手のような扱いに正直戸惑いながらも、この反応こそがアメリカの良さに違いなく、結果を出した時の惜しみない賛辞はそれをやり遂げた身には本当に嬉しいし、やってよかったと心底思える。
みんなの前で何を話したかはほとんど覚えていませんが、長い緊張と重圧から解き放たれ、安堵と開放感に満ちたこの頃が一番幸せな時間だったことは間違いありません。


# by mag-ikeda | 2019-06-08 15:48

第77便「誕生」

作品タイトルは「誕生」。

完成の3日前、スタジオから帰る途中フッと浮かんだこの単語がそのまま作品名になりました。

バンクーバーで東日本大震災を知ったあの日以来、アーティストとして自分が何をすべきなのかを考え続け、一時は絵を描くことにすら疑問を抱く時期もありました。
破壊や混沌などをテーマにしたこれまでの自分の作品がひどく不謹慎に映り、そういうものではない、ただ目の前の自然そのものを描いてみたりもしました。

日本から遠く離れた海外の自然はスケール、造形、色彩...全てが新鮮に映り、創作意欲を掻き立てられます。
しかし頭から被災地の光景、もっと言えば傷ついた日本の姿が離れることはなく、目の前の景色が雄大で美しければ美しいほど、海の向こうの祖国の現状がまぶたの裏にちらつきました。
カナディアンロッキーの透き通った氷河の水が湖に染み渡っていく光景はそのまま福島原発の汚染水が海に広がっていく様子を連想させ、
バンクーバーの穏やかな海がいつか牙を剥き、津波となって街を飲み込む姿が予知夢のように頭を巡り、森を歩いても豊かな緑の木立ちより地面で朽ちていく木の根や倒木にばかり目がいったのは、当時のそうした憂慮の表れかもしれません。

一瞬にしてこれまで私達が築き上げてきた財産や思い出、大切な人を奪い取ってしまう災害。
街並みや景色は破壊され、復興には長い年月を要し、人々の心にいつまでも傷跡として残り続けていく悲劇。
それをいかにして絵にするか、そればかりを考えていました。
震災の様子をそのまま克明に描いていったところで、それは悲劇の再現のようなものであり、そんなものを見て誰が喜ぶのか。そういうものを自分は描きたいわけではない。
しかしいわゆる復興の絵、みんなで頑張ろうという絵もどこか違う気がする。

そうしたことが頭の中を巡りながらも新天地での日々は過ぎていきます。
異文化での新生活から様々な刺激を受け、物の見方や考え方も少しづつ変化していきました。
やがて日本の震災だけではなく、世界中の至る所で起こりうるあらゆる自然災害をテーマにしようと思い始めたのには、そうした海外での生活体験が影響していたのは間違いありません。




そして2013年。
いよいよこの構想に着手できる環境が整い、頭の中で散らかっている漠然としたアイデアの断片を整理していくように、まずは瓦礫の山から描き始め、次第に絵は広がっていきました。

震災だけの絵ではない。
そうわかってはいても、頭の中では何度も被災者の方達の心情が頭をかすめます。
完成したこの絵がいつか展示の機会を得た時に、絵を前にして被災者の方達はどういう思いをするだろうか。 
描かれた瓦礫を見て再び傷ついたり感情を逆撫でされたりはしないだろうか。そもそもこの事に簡単に触れてもいいのだろうか。
そういうことを考え出すと何も描けなくなり、最初の数ヶ月はそれにとらわれ過ぎて手が止まることもしょっちゅうでした。

しかしスタジオに見学に来る人たちはそんな僕の思いとは裏腹に、作品の出来ていく過程を興味深そうに見ながら純粋に絵の世界を楽しんでくれている。
この瓦礫はハリケーンによるもの?それともトルネードかしら?
そんな彼らの反応を目にするうちに、世界の広さと多様性、一つの事象がすべての人々の直面する問題とは限らないということ、それぞれの立場によって物の捉え方は違うということに再び気がつきました。
そして災害がテーマだからと必要以上に深刻な内容を描こうとしている自分にも。

そもそも自分が直接体験していない事象の表面的な情報だけを集めて当事者のように語っても、それは誰かから聞きかじった話をなぞってるだけで説得力がない。
だからといって世界中で起こりうる自然災害をテーマとは言っても言葉で言うほど簡単ではなく、自分には広過ぎてつかみどころがない。
そんな壮大すぎるテーマに惑わされて動けなくなるくらいなら、もっと等身大の、自分の今生きているこの場所から、自分が見て感じた視点で描く方がいい。
いや、むしろそれしか描けないだろう。
その中にこそ自分の本当の絵がある。
肩の力が入り過ぎて硬くなっていた自分から、少しづつ本来の絵のスタイルを取り戻していったのを覚えています。




制作中に新しい命が二つ、誕生しました。
最初小さくてか弱かった体が少しづつ成長し、たくましく変化していく様子に感動する毎日。
そんな日常の断片も絵の要素として作品に取り込まれ、絵そのものも娘たちと同じように少しづつ広がっていきました。
破壊された世界に生き残った一本の巨木それ自体が生命の象徴で、傾きながらも懸命に、少しづつ上に向かって伸び続けようとしている。
傍で育ち続けるそんな命の存在が、この3年間を支える原動力になったのはもちろん、作品自体の持つメッセージを前向きなものにしていったことは言うまでもありません。

一方で大切な人の死もありました。
高校時代の友人であった彼の病気を知ったのが震災のあった年。それから5年間、闘病を続けた彼は作品の完成を待たずして旅立ちました。
しかし彼の言動や姿勢は、「死」というものが、生きる舞台をこの世からあの世に移しただけとでもいうか、死ぬことすら生きることの延長であるかのような印象を僕に与えました。
そして「死」の先にあるひとすじの希望のようなものも。
災害で亡くなったたくさんの命もそうして舞台を変え、お互いに見えないけれども二つの世界を行ったり来たりしているのかもしれません。
生まれてくる命と消えていく命。
こちらから見れば対照的なこれらも、実は同じもので、くるくると回っていたらいいなぁ。

右手の怪我も大きな出来事でした。
これまで当たり前にあって、動いて当然だと思っていたものがある瞬間を境に全く動かない、ただぶら下がっている肉の塊のようになってしまう。
動かなくなったことで初めて、これまで当たり前にあったものの有り難さと儚さに気がつく。
災害も同じようにある日突然やってきて、たくさんの日常を奪い去り、我々に大きな試練を与える。
失ったものを嘆いてばかりはいられず、生きるために立ち上がらざるを得ない。
そこを新たな出発点として。
この怪我はまさに自分にとっては予期せぬ悲劇そのものでしたが、激しい後悔のその先に見えたものは皮肉なことにそうした「気付き」でした。
そしてこの事がきっかけでようやくこの絵の方向性ははっきりと、揺らがないものになりました。




震災から5年。

当時は悲劇としか考えられず、絶望感と不安の底から生み出したこの作品に、「誕生」というタイトルをつけるとは思いもよらなかった。
自分の母国に起こった未曾有の大災害をいかに表現するかという大命題から始まったこの作品は、3年3ヶ月という時間の中での新しい経験や出会い、それに伴う自身の環境や気持ちの変化、成長や失敗など...全ての事を栄養にして少しずつその全貌を現し、前向きな意志を持った作品として完成しました。
世界中で起こりうる自然災害をテーマにどこまで問題提起できたかに関してはいろいろと疑問が残りますが、最終的にはこれで良かったのだと思っています。
これまでたった一人で描き続けていたこれまでの作品達とは違い、これは美術館での公開制作という経験の中で沢山の人達と共に作り上げたものであり、自分一人の考えでは到底生み出せなかった全く新しい作品です。
災害から始まる新しい時代。
日本を離れアメリカの地で、大勢の人に囲まれながら、新しい経験の中で産まれた作品。

「誕生」にはそんな思いも込められています。

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# by mag-ikeda | 2019-05-23 14:53