池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

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池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

バンクーバー日記


ミヅマアートギャラリー

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「再開」
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第67便「三潴さんチェック」
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第66便 「4月」
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第65便 「視点の違い」
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「再開」

前回の日記から約2年半、かなり間が開きましたがまた徐々に更新していこうと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、チェイゼン美術館で制作していた作品「誕生」が2016年の11月に完成しました。
前回の日記が2016年4月、完成の約7ヶ月前くらいのものですが、それを最後に作品の追い込みで日記を書く余裕がなくなり更新がストップしました。
あの頃の気持ちではもう書けないのですが、しばらくの間これまでの出来事を簡単に遡ってみたいと思います。

# by mag-ikeda | 2019-01-09 20:08

第67便「三潴さんチェック」

マディソンに、急遽ギャラリーのオーナー三潴(みづま)さんが怪我の様子を見に来ることになりました。

怪我をして、妻の次に電話をしたのが三潴さん。
今年の年末からのミヅマアートギャラリーでの個展を皮切りに、その後いくつかの美術館での大規模な回顧展を来年に控え、日本では、三潴さんと各美術館やメディア、県との間ですでに具体的に話が進んでいます。
電話をかけたのは受傷の数日後。
右手も全く動かずこの先の見通しも立たず、とにかくこのままでは締め切りの9月に作品が間に合いそうにないので会期を延期してほしいという内容の話をしたのは覚えています。
三潴さんから、プロとしての自覚のなさやいろいろな関係者にかかる大変な迷惑、今後どうするのか等について非常に厳しく言われました。
僕の展覧会とはいえ個人の都合でもはや日程は簡単に動かせる段階ではなかったのです。
とにかく今は下手に騒がず、状況がはっきりするまでは誰にも話すなという箝口令が敷かれ、日本には一切の情報が行かないようにしたのはこうした関係者の方々への混乱を避けるための処置でした。


それから3ヶ月。


4月とはいえまだ肌寒い曇り空、三潴さん渡米の連絡を受け、僕の心はにわかに不安が立ちこめます。
あれから度々メールや電話で怪我と作品の進捗状況を伝えてはいましたが、その度に厳しく諭され、これは実際に会ったらどんな仕打ちが待ち構えてるかという恐怖と、この怪我のためにわざわざ日本からしなくてもいい長旅をさせてしまったという
申し訳なさ、その他いろんな感情が渦巻いて、まるで近づいてくる台風の前日のような心境です。
Xデーが近づくにつれ、世話焼きで心理学者でもあるカレンは毎晩のように「きっと大丈夫よ」と勇気付けてくれました。


そしていよいよ当日。
天気はまさかの雪。
三潴さんの滞在しているホテルのロビーでどきどきしながら待っていると「おうぃ!池田く〜ん。」といつもの調子でにこやかに握手してくる三潴さん。
手の力具合を確かめて「おう、強いじゃない。これなら安心したよ!コーヒー飲む?」
とソファに僕を促し「いや〜自分で確かめないことには美術館側に説明できないじゃない。で、どうなの、怪我の具合は?」


正直土下座も辞さない覚悟で臨んだだけに呆気にとられるというか、狐につままれるというか、そんな心境。
しかし実際に顔を合わせて話したことでこれまでの電話でのやり取りですっかり固くなっていた感情がすぅ〜っとやわらかくなっていったのは確かです。
何度メールで話したところでやっぱり文字は文字でしかなく、声のトーンや表情などが行間に現れるわけではありません。
目の前で一見何事もなかったかのように振舞ってくださる三潴さんですが、それも作家に対する想いや気遣いがあってのことだと僕にはわかります。
たったこれだけのために十数時間をかけてアメリカまで来てくれたその情熱に、僕は作品で答えるしかありません。


三潴さんが手の回復具合や制作状況を確認できたことで、晴れて箝口令も解けました。
そしていろいろな方々の協力もあって、年末に予定されていたミヅマでの個展は来年夏に延期してもらうことになりました。
回顧展は来年1月に佐賀県立美術館で始まり、4月に金沢21世紀美術館、夏にミヅマ、秋に高島屋と巡回していくことになっています。

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# by mag-ikeda | 2016-11-01 15:30

第66便 「4月」

怪我をしてから3ヶ月。
カレンの庭の雪も消え、春の気配が漂ってきました。
当初は指先が痺れ、ほとんど動かなかった右手は毎日のリハビリの甲斐もあってか、徐々に動くようになってきました。
全く上がらなかった腕はしだいに上がるようになり、押したり引いたり捻ったり、そして物を掴む動作も少しづつ回復しています。
先生からは神経が切れてはいないのでそのうちどんどん動くようになるよと言われていましたが、それでも体の中で最も回復が遅いと言われる神経だけあって、痛めた場所から一ヶ月に約3センチくらいしか治っていかないそうで、
僕の肩から指先までの距離を考えるとちゃんと動くようになるにはおそらく1年近くかかるらしく、ただただ時間だけが必要なのですが、それでも予想していたよりずっと早い機能の回復に先生方から安心したという言葉をいただきました。
今では食事も着替えも両手で(もちろん左手の見違えるような成長のおかげもあって)こなし、そしてついに運転も解禁!
これまで毎回病院や美術館への送り迎えをカレンや他のドーセンの方々にもお願いしていたので、これは大きな進展です。


これを期に、3ヶ月お世話になったカレンの家での生活からも自立し、アパートに帰ることになりました。
出産を終え、約1年ぶりにマディソンに帰ってくる家族との再開を目前に控え、娘たちの世話のためにも少しでも自立しておかなければなりません。


肝心の絵を描く作業ですが、幸い指の神経の中でも握る方の神経はダメージがあまりなく、ペンを操る機能は日に日に戻ってきて左手一本に頼りきっていた作業も徐々に右手に持ち替えることが出来るようになりました。
ただ3ヶ月間使っていなかった右手の筋肉はびっくりするほど弱くなり、5分もすると疲れて左手にチェンジという有様…。ですが、何より使うことが一番のリハビリ。
完全に回復するその日まで、今しばらくは左手との共同作業になりそうですが、とにかく、とにかく最大のピンチは乗り切りました。


ドローイングの充分な練習をする時間的余裕はなく、ほんの数枚スケッチブックに描いただけでいきなり本番に投入された左手ですが、
とにかく使うしかないという危機的状況で肝が据わった彼の進歩は素晴らしく、スピードは幾分落ちたもののブランクを開けることなくしっかりとその間の仕事をやりきってくれました。
人間何事も追い詰められればできるものです。
また、この出来事によって結果的に作品上部の構想が決まり、おぼろげだった絵の最終形態がようやく具体的に頭に描けるようになってきたことはこの作品の制作過程において、一つの大きな山を越えたと言えるものでした。






今回のモチーフは一本の樹です。
それも災害で傾きつつある巨大な樹。

震災以来、樹はこれまで以上に特別な存在として僕の目に映るようになりました。
陸前高田で見た津波から生き残った一本松や、何世代にわたって成長し続けるバンクーバーの深い森。
ニューメキシコ州の岩山で見た、地面が雨で流され根っこがむき出しになりながら立っていた一本の樹の生命力も忘れられません。。
苦境にあって、ものも言わずそこに立ち続ける樹という存在は、自然そのものの偉大さのみならず、災害によって痛めつけられた我々人間の今現在の姿をも象徴しているようで、制作を進めるうち、徐々に全体を樹にしようという構想が固まってきました。
下部は災害による瓦礫の山。中部は傾きつつも生き物や漂着物と共に上に向かって伸びている巨大な樹の幹や枝の部分。
そこまで進めたものの、上部に差しかかり始めた頃パタリと手が止まってしまいました。
ぼんやりしたイメージはあるものの、これといった説得力が弱く、自分でまだゴーサインが出せなかったのです。



そんな中で起きた今回の怪我。



ダメージを受けた自分の神経や細胞が少しずつ再生し、元の機能を取り戻してゆく姿と
災害によって傾いた樹がそれでも枝を伸ばし、やがて満開の花を咲かせつつある姿。
この全く異なる二つが結びつき、共に伸びてゆくというアイデアがある日の夕方、帰り支度をしてる時に突然ポンっと生まれたのです。

考えてみればこの2年半、作品と向き合ううちに徐々に「災害=復興」というありふれたイメージに囚われ、絵がどことなく硬くなっていると感じていました。
震災について見聞きし、情報を得れば得るほど頭でっかちになり過ぎ、アイデアが偏り、自由さがなくなり。。。
このまま進んでいってもどっかで頭打ちになってしまう、そういう焦りがずっと頭にありました。
この怪我の代償は本当に大きかったけれども、それにより新しいアイデアが生まれ行き詰まった状況を打破してくれたのであれば、これも作品のために意味があったと思った方が得です。
というかそう思いたい。

自然災害と個人の怪我はまったく無関係、被災者に対して不謹慎だという声もあるかもしれませんが、
そもそも個人的な出来事を織り交ぜ、まったく脈絡のないもの同士を組み込みながら一つの世界を描くのが僕の表現。
ここまできたら自分を信じてやりきらなくてはこれから先に進めません。



完成まであと8ヶ月。
ようやく目指す頂上の姿が見えました。
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# by mag-ikeda | 2016-10-15 19:13

第65便 「視点の違い」

今日は謝罪について。

怪我をしたことへの捉え方で、ここでも大きく文化の違いを感じる事がありました。


我々日本人の常識ではこういう大事な時期に怪我をした場合、しかも仕事ではなくレジャーなら尚更、みなさんに大変なご迷惑をおかけしました、自分の認識が甘かったですと謝るのが当然であり、恥ずかしくて顔向けできないという気持ちになります。
いろいろな人に「すみません」と謝り、ご心配をおかけしたこと、締め切りを延ばさざるを得なくなったこと、みなさんの期待を裏切ったことなど、相手の気持ちをまず考え頭を下げるのが普通です。
個人差があるかもしれませんが僕の場合は小さい頃から、「言い訳をしないで潔く謝ること」が美徳として教えられてきました。


しかしこちらでは基本的な捉え方がまったく違うというか、原因や時期はどうであれ、怪我はいつ起こるかわからないのだから仕方がないじゃないかという認識なのです。
勿論日本的な考え方が全く理解されないわけではありません。
しかし館長さんはじめお医者さんやカレン、美術館のドーセンや見学者の人々など、ほぼ全ての人が怪我をした事には同情はするものの、みんなに迷惑をかけたと反省するという点には「なんで?」の一言。
怪我や事故は気をつけてたって起きる時は起きるんだから、それは誰の責任でもないし、それを言い出したら何もできないよとこれまで何人の人に言われたか。
スタジオ公開時には今では必ずドーセンの人が「右手をスキーで怪我しているので彼は今は左で描いています…」といった話をするので、それが見学者の大きな関心の一つになっているというか、むしろそういうドラマをことさら強調するというか…。
日本の関係者とこちらでは置かれている立場の重みが違うのでその反応も当然異なると言われればそれまでですが、地元のテレビ局からも怪我からのリカバリーについて聞きたいという取材があった時にはさすがにびっくりしました。


でもそう言われてみれば日本にいた頃、よく外国人タレントやスポーツ選手が怪我をしたりトラブルを起こした時に謝るどころか平然としている映像を見るにつけ憤慨している自分がいたものです。
みんなに迷惑かけたんだからまずは謝れよとその時は思っていたのですが、こういう考え方がベースにあったのかもしれません。


僕はどちらの考え方にも長所と短所があると思うので、どっちが良い悪いなどとは思いませんが、
全体との協調性に重点が置かれているのか、個人に焦点が当てられているのかの違いではないかと思います。
ただ自分自身のことで言えば、ただ闇雲に謝るのではなく、反省するべき点とそうでない点を明確にして胸をはっていることが自分を少し成長させる為には必要だなと今回のことからまた一つ学んだような気がします。

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# by mag-ikeda | 2016-09-27 21:33

第64便 「初めての絵」

力なく震える線。
意思とは裏腹に右往左往するストローク。
指先に感じるどうしようもない違和感。
これまで日常生活はもちろん、一度もペンを持ったことのなかった左手にとってこの任務はハードルが高すぎるのだろう、指先の筋肉から神経まで、全ての器官が戸惑っているのがありありと伝わってくる。
対象をよく観て、それを忠実に写し取るという極めてシンプルな作業。
目からの情報を脳が取り込み空間上のイメージとして再構築、それを信号に変えて送ればほぼ無意識に右手がそれを再現する。
同じ事が左手になると回路が充分につながっておらず、コントロールができないし、それより動かし方がわからない。


葉っぱの形が繋がらない。
均一に塗れない。
茎のラインがあらぬ方向に進んでは隣に突っ込み、はみ出し、止まらない。
まるで初めてローラースケートを履いたような感覚。
頭の中では描けるのに!
今は電池切れのように全く動かない右手の上にはつい先日まで描いていた感覚が触れるほど残っているだけに、この愚かしいまでの不器用さがもどかしすぎる。


だけど一方で、こんなにも描けない自分に笑ってしまう。
こんな感覚は味わったことがなかった…
丸を描こうと思えば描けたし、よく観て描けばその通りになるのが当たり前というか、むしろ描けないということが分からなかった。
そういえば以前、予備校で講師をしていた頃に生徒から「先生はよく観て描けば描けるというけれど、それは先生だからできるんです」と言われたことがあり、その時はそんなことはないと思ったけれど
それはこういう事だったのかもしれない。

不慣れな手を使い、普段使わない側の脳を使う作業は神経はもちろん、目や肩の疲労もたまりやすく、とても長くは続かない。
いつもはテクニックで誤魔化せるところも手を止めてどう表現するか考えなければいけないので、それだけモチーフに目を留まらせる時間も長くなる。
真剣に対象を見つめ、必死で形を追いかけ、言うことを聞かない線と格闘しながらどうにかこうにかやっていく。
そしてようやく姿を現した新しい絵。


不恰好だし、下手だけど、でも嫌いじゃない。
むしろワクワクしたし、ドキドキしたし、モチーフとたくさん会話したぶん、何か心に響くものがある気がする。
自分にもこういう絵が描けたという事が素直に嬉しかった。
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# by mag-ikeda | 2016-07-22 17:48