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池田学 マディソン滞在制作日記


by mag-ikeda

池田学 / IKEDA Manabu

画家。1973年佐賀県多久市生まれ。1998年東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
2000年同大学院修士課程を修了。 2011年から1年間、文化庁の芸術家海外研修制度でカナダのバンクーバーに滞在。
2013年6 月末より、アメリカ・ウィスコンシン州マディソンにて滞在制作を開始。

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【第117便】「感染 後編」

幸い次女の症状は軽く、微熱と喉の痛みだけ。

2階の小さな部屋に布団を敷き、本やぬいぐるみなどの身の回りのものを移して、しばらくはここが病室。家族の誰も入れません。食事は毎回妻がマスクをして部屋の前まで届け、トイレやお風呂以外は基本的に部屋の中で一人で過ごすという、7歳の子供にとってはかなりの試練。


しかしそれより我らにとって大変だったのはその他の子供たちをいかに接触させないようにするかということ。特に下の二人はお姉ちゃんに会いたがります。普段ずっと一緒に生活してるところを急に離され、上には行くなと言われても幼い二人にはよく理解できず、目を離した隙に部屋に入ってしまうことも。

最悪のケースは家族内感染で全員発症。そうなってしまったらまさに地獄…

触ったものは徹底的に消毒。子供達の行動にも目を光らせ、次女の看病と同時に自分たちの体調にも神経を向けなければならないこの軟禁生活は、精神的にかなり疲れるものでした。


次女が退屈して下の階に降りてこないかと初めは心配しましたが、本来の性格なのかそれとも我慢強いのか、たいして泣き言も言わず、パソコンで動画を見たりお絵描きをしたりして一人の時間はそこまで苦痛に感じないようでした。

でもひとつかわいそうだったのは、隔離生活の3日目が次女の誕生日だったことです。

みんなでテーブルを囲んでお祝いすることもできず、一人部屋の中から窓の外を見るくらいしかできない8歳の誕生日。

どうするかと家族会議をした結果、家の前の歩道にメッセージを書くことにしました。

こちらでは子供たちがクレヨンを使って歩道に絵を描いて遊ぶことが多く、いろとりどりに塗られた歩道はそれだけで気分が明るくなる上に、中にはなかなかの力作もあったりして歩行者の目を楽しませてくれます。

舗装のつなぎ目を漫画のコマに見立てて4コマ漫画を描いたり、カラフルな絵を道路いっぱいにちりばめたり、隔離の有り余る時間を利用していい作品ができました。

また隣のお姉さんや同じクラスの子たちも放課後にプレゼントを持ってきてくれたりもして、2階の窓から手を振りながら本人は嬉しそうでした。

今年の誕生日はいつもとは違いましたが、もし症状がひどかったらそれこそお祝いどころではなかったのだからそれだけでも感謝しなければなりません。


長い1日が終わるたびに、今日も無事だった今日も無事だった…と薄氷を履む思いで過ごした10日間もなんとか最終日。

最後は全員で薬局に行ってドライブスルーのコロナ検査です。

車のドアごしに検査キットを受け取ったらその場で自分で綿棒をくりくりし、窓口に返せばそれで検査終了。3分とかかりません。

数時間後に結果をネットで確認して全員陰性、晴れて翌日から学校に復帰することができました。最終的には恐れていた家族感染もなく、次女の症状も軽症で済み、無事に乗り切れたことに胸を撫で下ろしました。

我が家の1度目の(?)隔離生活はこのようにして終わりましたが、今も変異を続けるコロナ株。いつまた感染するやもしれません。とにかく今まで通り、気を緩めずに過ごしていくしか我々にできることはありません。

(佐賀新聞2021年12月掲載)

【第117便】「感染 後編」_b0290617_15414943.jpg
*次回からの更新は、佐賀新聞での掲載に連動し月1回(15日更新)となります。
よろしくお願いいたします。


# by mag-ikeda | 2021-12-18 13:11

【第116便】「感染 前編」

前回の原稿を書き終えたまさにその日、再び暗雲がわれらを襲いました。

なんと次女がコロナに感染してしまったのです。

前日から喉の痛みを訴えたので一応検査しておくか、という軽い気持ちでテストを受けたらまさかの陽性。

ようやく学校も始まり子供達の世話から解放され、妻の体調も順調に回復してきてこれでやっと日常が戻ってくると安堵した矢先に、再び谷底に突き落とされたような過酷な現実。

試練のダメ押しにこの世には神も仏もないのかと夫婦二人、頭を抱えて突っ伏しましたがもう受け入れるしかありません。

パンデミック以来ずっと恐れていた目に見えないウィルスが今、実際にこの家の中にいるという恐怖。はたして娘はこれからどうなるのかという不安。もし家族内で感染が広がったら、もし重症化してしまったら、親類のいない我々はどうすればいいんだろう…

パニックで押しつぶされそうになる気持ちをなんとか平静に保ち、残された余力を振り絞って未だ経験したことのない戦火の中に足を踏み入れる。そんな心境でした。


娘を上の部屋に寝かせ、学校に陽性であることを伝えると電話の向こうににわかに緊張感が走り、すでに感染しているかもしれないからすぐに他の兄妹を迎えに来いと告げられ、取るものも取り敢えず学校に向かいました。

しばらく外で待っていると何もわからない様子の三女と、すでに事態を把握し、怒っているとも泣いているとも取れる表情をした長女がそれぞれ先生に連れられて出てきて、次女がコロナに感染していること、これから10日間家から出られないことを告げました。

1週間後の初めての遠足を楽しみにしていた三女は泣き出し、長女もだまって向こうを向いていましたがちょうどその時、次女のクラスの子供たちが休み時間で一斉に外に飛び出してきました。何人かの子が僕たちに気づいて駆け寄ってきましたが、ここに来た理由は言えません。困っていると先生に促され、やがて彼らはグラウンドの方に散っていきました。

その時に感じたなんとも言えないみじめな気持ちは忘れられません。

娘二人を連れて隠れるように帰ってくると、ほどなく学校から全保護者宛てにコロナの陽性者が出たというメールが届き、次女が学校で最初の感染者らしいということが分かりました。

さらに保健所から電話で、症状が出るまでの3日間にどこにいって誰と接触したかなど、その感染経路についていろいろと尋ねられたりと、まるで取り調べのようでした。

それらが周りにウイルスを移さないための対応というのは分かってはいるものの、まるで自分たちが周りに多大な迷惑をかけた容疑者であるかのように感じてしまい、体のみならず自分たちの存在までが周囲と隔離されていくような寂しさを覚えました。


おそらく学校でもらったのでしょうが、子供は無症状のことが多いのでおそらく誰も気づかなかったのでしょう。マスクや手洗いなど徹底していてもリスクを完全に押さえ込むことは想像以上に難しいということを再認識しました。これからの10日間に思いを馳せ、外に目をやると、冬に備えたリス達が相変わらず走り回っていました。

(佐賀新聞2021年11月掲載)

【第116便】「感染 前編」_b0290617_13425206.jpg
次回は12月18日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-12-11 13:45

【第115便】「専業主夫」

アメリカに来て驚いたことの一つはなんといっても男性の家事への積極的な関わりでしょう。学校の送り迎えはもちろんのこと、夕方の公園でもたくさんのお父さんが子供と遊んでいますし、休日に食事に誘われて家を訪問すると、奥さんが僕らをもてなしてくれている後ろで旦那さんがキッチンに立って料理をしたり後片付けをしたりして立ち回っているのも、珍しいことではありません。

もともと3人兄弟の男所帯で育った僕にとって、家事は母と祖母がするものでした。

父を含む僕ら男4人がそれを手伝った記憶はほとんどありません。

そんな男性中心の環境で生きてきた母がアメリカに来た時に、台所で妻を手伝う僕を見て「男なのに台所に立たされてかわいそう。」と言ったのですが、それも無理はないかもと思えるほど、実家とここでは価値観が違うのです。


もともと家事や育児に参加していた僕にとって、アメリカでのそうした生活スタイルは肌に合うものでしたが、今回その本当の大変さを思い知らされる事態が起きてしまいました。

7月に妻が体調を崩して動けなくなってしまったのです。

病院でいろいろな検査をしてもらった結果、幸い目立った異常は見つからず、おそらく精神的なストレスやプレッシャーなどからくる疲れによるもので、とにかく休養が必要だとの診断。

思えばここにきて10年、慣れない外国暮らしに加え3人の出産、4人の子育てと家事全般をほとんど一人できりもりし、頼る親類のいないアメリカでほぼ孤立無援に近い状態で奮闘してきた結果に違いありません。今にして思うとチェイゼン美術館で三年以上の間、「誕生」の制作だけに向き合うことができたのも、僕が作品だけに打ち込めるように妻がそれ以外の負担を一手に引き受けてくれたからでした。

そうした長年の蓄積による疲労が相当溜まってきていたはずで、そこに去年のパンデミックが追い討ちをかけました。なにしろまるまる一年、子供達は学校に行けず、一日中家にいたのですから。


さて妻に代わって家事全般を引き受けることになった僕は改めてその壮絶さを知ることになります。

毎朝6時に2歳の長男に起こされるところから始まり、朝食の準備に片付け、掃除や洗濯。

それが終わったと思ったらもう昼ごはんの準備です。長男の昼寝に合わせて30分の仮眠をとり、午後には上の子たちの習い事への送り迎えや雑用を済ませているとあっという間に今度は晩ごはんの準備。そして子供達が寝るまでの慌ただしい時間が過ぎると、そこでようやく自分の時間でメールの返信や作品に向かえますが…もう余力は残っていません…。

数時間後にやってくる長男の目覚ましに備えて早めに寝ることのみ。

そしてこのルーティーンが週末だろうが祝日だろうが休みなく、エンドレスに繰り返されるのです。

この2ヶ月間の専業主夫生活で作品に向きあえた時間はほんのわずかでした。

しかし今はそういう時なのでしょう。

夜は夜泣きでたびたび起こされ、日中もひっきりなしに子供達から呼ばれ、ケンカの仲裁をし、片付けるそばからちらかされ、やったからといって誰からもほめてもらえず、給料も出ず、社会的な地位があるわけでもない…

これほどまでに自分を犠牲にしながら、世の中の主婦たちは家庭を支えていたとは。

今までの僕は家事に参加はしていたけれど当事者ではなかったのだと思い知らされました。

そして毎日絵を描けることは当たり前のことではないのだと。家族の健康や犠牲の上に成り立っているのだということを肝に銘じました。

9月に学校が始まりだいぶ楽になってきましたが、妻にしっかりと休んでもらうためにも、まだしばらくこの生活は続きそうです。
(佐賀新聞2021年10月掲載)
【第115便】「専業主夫」_b0290617_11494907.jpg

 
次回は12月11日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-12-04 11:52

【第114便】「イエローストーン旅行記 後編」

太陽がカンカンと照りつける乾燥した大地に湧く青く澄んだ泉。

しかし見た目とは裏腹に、その水はマグマに熱せられた100度近い高温。飲むことも浸かることもできません。

高温から低温まで、バラエティに富んだ温度とその水の色。泥水が勢いよく吹き出している穴もあれば、隣ではポコポコと静かに沸騰しているものもある。突然地上数十メートルの高さまで噴き上げる間欠泉があるかと思えば、バイソンやシカの群れが草を食む、爽やかな湿地帯が広がっている。

まわりを囲む山脈からは雪解けの清廉な水がアイスブルーの湖に流れ込み、この地特有の美しいマスが流れに身をゆだねている。


天国と地獄が共存する場所と言ってもいいくらい両極端な景観。地球の活動のほぼ全てが凝縮されているようなイエローストーンの大自然。

数えきれないくらいの刺激とインスピレーションをこの旅からもらいました。

気がつけば万年苦しめられている肩と背中の重さからも解放され、カチカチに凝り固まった頭も柔らかくほぐされ、初心にリセットされたような感覚を覚えました。

家とスタジオの往復で、日ごろいかに自分が疲れ果てていたか、本来はこんなに元気だったんだということを、実に数年ぶりに思い出すことができました。

そして何よりも、実際に現場で、五感をフルに使って山や雲や水に触れたことで「ああこれを描きたい!」という純粋な欲求が溢れ出てきたこと。これが何よりも大きな収穫でした。


ここ数年は描きたいというよりも「描かなければ」という義務感のようなものが心の大半を占めていて、アイデアを求めて半ば空っぽになった自分の引き出しを引っかき回しているような、心ではなく頭で絵を描いてるような日々でした。

もしもそんな日常の中で今回見た同じ景色の写真をたまたまインターネットで見つけたとして、果たして何か心に引っかかるものがあったかというと、決してそうではなかったと思います。

美しいには違いないけれど、それは表面だけ。

心が震えたり息を呑んだりするということは、視覚だけでなく匂いや音、肌に感じる風の強さや轟くような地響き、さらにはそこに辿り着くまでの時間や苦労の先の達成感も含めて、圧倒的に心で感じるものだからです。


だからこそ、現地に行って実際に目で見て感じるという、自分のアーティストとしての原点に立ち返るようなこの旅は何ものにも変えがたいものだったのです。
(佐賀新聞 2021年9月掲載)

【第114便】「イエローストーン旅行記 後編」_b0290617_18494979.jpg

次回は12月4日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-11-27 18:51

【第113便】「イエローストーン旅行記 中編」

10時間のドライブの末に着いたそこには、見たことのない風景が広がっていました。

バッドランズ国立公園はサウスダコタ州にあり、大草原の中に忽然と現れる大岩山地帯です。

その形状はまさに異質。およそ50万年の歳月をかけて風と水による浸食作用でできた岩肌。ベージュを基調にした乾いた色合いの急峻な崖。そうした岩山の一群が緑の平坦な草原を突き破るように唐突にそびえ立ち、その存在感は周りの穏やかな景色との調和を一切拒絶しているかのようです。

カラカラに乾いた地面にはサボテンなどの乾燥に強い植物が生え、水分をまったく含んでいない熱風が時折り吹き抜けては砂ぼこりを運んできます。

崖の上から下を見下ろす…。「ガラガラヘビに注意」の看板以外には鎖もなにもなく、落ちたらまずは助からない高さ。そんな稜線を踏み外さないよう慎重に歩きます。

全ては自己責任で甘えが許されない環境を感じ取ってか、子供たちの表情も引き締まっています。

間近で見てみると岩山はいくつかの地層が堆積してできていて、ピンクや紫、黄緑からマスタードのような黄色まで、地層ごとに絶妙なグラデーションで彩られていて実に美しい。

そこに夕陽が差し込んできてそれらが黄金色に輝くのです。

こんな色合いが自然の土壌にあるのか…。これまでの自分の常識が一枚、また一枚と剥がされていきます。


濃密な3日間をそこで過ごしたあとはいよいよこの旅のメイン、イエローストーン国立公園へと向かいます!

朝8時頃にバッドランズをあとにし、国立公園内に入ったのが夜8時近く。

12時間ドライブでヘトヘトな上になんと!山奥で携帯の電波が入らない!

「公園」と銘打ってもここは街の公園とは違い四国の半分ほどもある大自然の山の中。

電灯などない真っ暗な山道を誰とも連絡が取れず、周囲のクマや狼に怯えながら進む不安と心細さといったら、車とはいえかなりのものです。

やっとの思いで無事にテントサイトに到着したのが夜11時過ぎ。サイト内にはあちこちにクマ出没のサインがあり、食料や歯ブラシなどの匂いのするものは全て「ベアーボックス」という頑丈な金庫に入れ、自分たちのテントには水も入れてはいけません。トイレも100メートルほど離れた森の中にあり、真っ暗な闇の中でヘッドランプの灯だけでテントを設営するのはまさに生きた心地がしませんでした。


熊出没の恐怖と予想外の寒さに震えながら夜を明かし、テントから顔を出すとそこには。

目の前には鏡のように美しい湖。その対岸にはロッキー山脈の山並み。

絵葉書のような光景と澄みきった朝の陽射しの暖かさで、不安が緩やかな感動に変わっていきます。

この景色の中にこれから1週間。そう思うだけで久しく眠っていた感情が目を覚ますのを感じました。
(佐賀新聞 2021年8月掲載)
【第113便】「イエローストーン旅行記 中編」_b0290617_18420959.jpeg
次回は11月27日(土)更新予定です。


# by mag-ikeda | 2021-11-20 18:43